「記念撮影」歌詞の意味

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バンプオブチキンの記念撮影

魔法の中にいるような幻想的でノスタルジックなメロディと歌詞をフレーズ毎に区切って一枚の写真に収めるかのように歌っているのが特徴的でした。

藤原さんの綴る歌詞の秀逸さは、星をキレイだなと思うのと同じくらいもはや当たり前で、星座のように他の曲とも繋がっているような印象さえ受けました。

今回の「記念撮影」は日常と過去が色濃く表れていて未来を強く意識している。コーラと言う単語が選ばれたことにも新鮮さを感じました。

それではどのような意味が込められているのか紐解いていきたいと思います。
少し長いですがお付き合い頂ければ幸いです。

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記念撮影の歌詞を考察

名付けようのない時間の場所とはどこか?

“目的や理由のざわめきからはみ出した
名付けようのない時間の場所に
紙飛行機みたいに ふらふら飛び込んで
空の色が変わるのを見ていた”

名付けようのない時間とはのことだと思いました。

過去や未来は何月何日何時何分と時間を特定することができますが、今はすぐに過去になってしまうので今と言う時間を明確に名付けることはできないでしょう。

目的や理由は過去や未来を意識するから生まれるものであって「今」という時間だけに意識を置けば目的や理由なんてものはなくなってしまいます。

主人公は目的や理由もなく紙飛行機のように流れに身を任せて、ただ空の色が変わるのを見ていた(=時間が経過する)のですね。

“透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している”/ray

日常と非日常を表すフレーズ

“遠くに聞こえた 遠吠えとブレーキ 一本のコーラを挟んで座った
好きなだけ喋って 好きなだけ黙って
曖昧なメロディー 一緒になぞった
やりたい事がないわけじゃない はずだったと思うけど
思い出そうとしたら 笑顔とため息の事ばかり”

「遠吠え」は心の叫び声のように感じますし、「ブレーキ」はその心に歯止めをかけて動いていない状態のような印象を受けました。

遠吠えやブレーキなんて日常的に耳にするものではありません、非日常的です。

しかしそれが聞こえたからといって遠いところにわざわざ確認するまでもない。
心が叫んでいたりそれにブレーキをかけていても何がしたいのか言葉に直せない気持ちをいちいち確かめるなんて面倒なことをしたくなかった。

だから一本の「コーラ」という日常を挟んでそれらを遮断したんでしょうね。

言葉の奥に日常と非日常を表した情景が鮮明に浮かぶ秀逸な言葉選びです。
目的や理由もない場所にいた主人公はやりたいことを思い出そうとしますが、笑顔とため息のことばかり。

“あれほど近くて だけど触れなかった 冗談と沈黙の奥の何か
ポケットには鍵と 丸めたレシートと 面倒な本音を つっこんで隠していた”

このフレーズもすごく好きで、情景もすごく浮かんできますしポケットに入れているということは
いつでも取り出せる状態にあるんですよね。

冗談と沈黙とは適当に周りに合わせてごまかしている様子ですね。

“人と話したりすると気づくんだ 伝えたい言葉がないってこと
適当に合わせたりするとわかるんだ 伝えたい気持ちだらけってこと”/supernova



終わる魔法とは?

“ねぇ きっと
迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う
君は知っていた 僕も気付いていた 終わる魔法の中にいた事”

「終わる魔法の中」というフレーズは特定の期間、学生時代や夏休みとかを括って、魔法の中という表現をしているように感じました。

将来について悩みの多いティーンエイジャーへのメッセージのように受け取れますが、これはカップヌードルCMのテーマである「青春と書いてアオハル」というキャッチフレーズに寄せた言葉選びのように受け取れますが私はブログ内の用語集で
魔法の意味とは言葉では表現できない不思議な感覚と書きました。

「終わる魔法の中」とはなにも青春時代に限ったことではなく、何を夢見たり憧れたり、胸を突き動かす不思議な気持ちといっしょにいる時なのだと思います。

なぜ迷子のままでも大丈夫だと思うのか?

それは思い出したら笑顔とため息のことばかりだったから・・・
ため息は失敗ややりたいことをやらなかった後悔なんでしょうね。

ため息を笑顔に変える、やり直すチャンスがあるから大丈夫だと思うのですね。
詳しくは後半で説明します。

どうしてずるいのか?

“固まって待ったシャッター レンズの前で並んで
とても楽しくて ずるくて あまりに眩しかった”

“ずるくて”という言葉が妙に引っかかりました。

【ずるい】という言葉は言い換えると【卑怯】とも呼ぶこともできます。

“卑怯者 鏡の奥に 気づく前に目を背けた”/コロニー

“面倒な本音をつっこんで隠してた”/記念撮影

自分の心と向き合わずにそれを隠して生きていてもそれなりに楽しい人生を送っている自分が
ずるいと思ったのでしょう。

あの日、心と二人で見ていた未来の自分の姿が眩しいこととカメラのフラッシュが眩しいことをうまく掛けています。

なぜ固まってシャッターを待っていたのか?

写真とは今と言う一瞬を切り取るもので、
今と言う未来に夢を見ていた過去
あの日二人で見つめた未来
それを実現できていない

その過去と未来に責められて挟まれている気がしたから今の自分は固まってしまたったのです。

言い換えると
“目的や理由のざわめきに囲まれて”しまったからなのですね。

未来や過去を意識すると行動に目的や理由ばかり求めて、純粋な理由もなくワクワクする気持ちとかを閉じ込めてしまったのですね。

遠吠えとブレーキの正体

“そして今 想像じゃない未来に立って 相変わらず同じ怪我をしたよ
掌の上の 動かない景色の中から 僕らが僕を見ている”

“動かない景色”とは写真を表しているのではないでしょうか?

撮影した過去の写真の束を手に持って過去の自分たちが未来の自分を見ている。

“動かない景色”とは先ほどレンズの前に並んで写真を撮った時に「過去と未来に囲まれて固まっていた自分」のことも指していると思います。
「動かない」と「固まった」という意味を掛けて、やりたいことをやってこなかった過去の自分が未来の自分を見ていると伝えたいのでしょう。

“目的や理由のざわめきに囲まれて
覚えて慣れて ベストを尽くして
聞こえた気がした 遠吠えとブレーキ
曖昧なメロディー 一人でなぞった”

自分の気持ちを隠して生きる日常に慣れてしまった。
その中でベストを尽くして頑張って、それなりに楽しい生活で心が薄れてしまった。
目的や理由ばかり探していたら純粋な気持ちを忘れかけていた。

最初は「遠くで聞こえた」と言っていたものが「聞こえた気がした」という表現に変わっている理由は
あの日、自分と心の二人で見ていた想像していた未来に「今」、自分がいるからです。

昔、思い描いた未来に向けた想いが時空を超えて今に届いたのです。

でも実際はそんなことありえないので気がしたと表現しているのですね。

曖昧なメロディを二人から一人でなぞるようになったのも過去に自分と心で想像していた未来とは違う今になってしまったからです。

他人事のような自分のこと

“言葉に直せない全てを 紙飛行機みたいに
あの時二人で見つめた レンズの向こうの世界へ 投げたんだ”

「言葉に直せない全て」とは“曖昧なメロディ”、“面倒な本音”のことでしょう。
言葉を当てはめたら壊れるから、紙飛行機を遠くへ飛ばすように遠い未来へ飛ばしたのです。

もう一度言いますが写真とは今という一瞬を切り取るものでレンズに映る景色は当然ながら今です。
レンズの向こうの世界とは時間の流れる世界、つまり未来です。

“想像じゃない未来に立って 僕だけの昨日が積み重なっても
その昨日の下の 変わらない景色の中からここまで繋がっている”

僕だけの昨日とは心を隠している状態、やりたいことをやっていない日々。

でもその心のいない昨日よりも前の過去には心といっしょにいた自分がいて、心が止まりながらも失くさないで今日まで生きている。

“止まる心を引き摺って 連れてきた”/Hello,world!

“光らなくなった靴の光 忘れてしまった唄の唄
失くさないで運んでいく やり方が上手に出来ている”/Butterfly

“迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う
君は笑っていた 僕だってそうだった 終わる魔法の外に向けて
今僕がいる未来に向けて”

ここで終わる魔法の外”=“今僕がいる未来ということがわかります。

突然ですが自分の理想の未来を想像してみて下さい。

誰もが自分が幸せで笑っている未来を想像したと思います。

私たちはみんな自分の幸せを願って未来の自分に向けて笑っているのです。
私たちはみんな未来に憧れ、夢を見て未来に想いを託しているのです。

紙飛行機を届かない空へ飛ばすように私たちは行くことのできない未来に想いを飛ばしている。

これはみんな当たり前に普段からやっていることだけどその未来はいつの間にか今になっていることに気付かずに私たちはまた未来に想いを託す。

「今」という現在は過去に想いを託した未来なのにまた未来に想いを託すという繰り返しで相変わらず同じ怪我をしている。
私はこの曲のストーリーを他人事のように見ていました、けどこの記事を書いている間も人生を変えたいとか未来を夢見ていて実現していない自分がいて・・・

他人のことはすぐ目につくくせに自分のことになると見えていない。

これは自分を客観的に見れないから、そのため自分を映す写真や鏡が必要なのです。

いつだって叶える時は「今」なのです。

この自分の未来を想う心が目印になってどこにだって行ける。
私は心に限らず誰かがいっしょにいれくれれば迷子でも勇気を貰えると思います。

迷子のままでも大丈夫なのです。

“生きてきた分だけ 増えた世界が 作る迷路

その中で僕らは 目印を深く 突き刺した”/メロディーフラッグ

未来を夢見たり、何かに憧れたりする気持ちは実現した時に消えてしまいます。

逆に実現せずにずっと夢を見ていればそれはまさに夢の中で魔法の中です。

ずっと魔法の中にいれるのだから叶えない方がいいんじゃないの?という声も聞こえてきそうですが
自分が笑っている未来は心と二人で見た終わる魔法の外にあるのです。

終わる魔法の外とは夢の先の世界なんですね。
叶う叶わないの問題じゃなくてどんな時も心に限らずいっしょに寄り添ってくれている存在いたことに勇気を貰い迷子でも大丈夫なんだって気付かされました。



なぜ記念撮影というタイトルなのか?

私たちはいつだって迷子で、どこにいるのかどこに行くのかわかりません。

写真は今の心を閉じ込めた人生の目印のようなものです、それを見たときに当時どんな想いで何をしていたのかを思い出させてくれます。
写真には心は写りません、でも写真を見た時にその時の気持ちが遠吠えのように、まるで過去から今へワープするかのように思い出すことができる。

まるで心が「見つけてくれてありがとう、思い出してくれてありがとう」と時を越えて今の自分の胸に飛び込んでくるかのように。
自分のケータイに入っている写真や、アルバムの中の写真を見てみて下さい。

その当時の写真を見ると自分の足跡やどんなことを考えていたか、どんな気持ちだったか不思議と思い出すことができます。

“僕らが 丁寧に切り取った
その絵の 名前は 思い出”/ロストマン

だって「記念撮影」という言葉は

「念」→今+心

今の心を記す撮影と書くのですから

その写真に写る自分の気持ちを思い出すことができるのは

心といっしょにいた確かな証ではないでしょうか?

あとがき

またバンプに気付かされた・・・背中を押されたんじゃない気付かされたんだ。

いつでもバンプはそうだ、私たちにああしなさい、こうしなさいなんて要求はしてこない。
バンプは手を差し伸べて待っている、私たちがそれに気付き手を伸ばせば掴んでくれる・・・

まるでそう言っているかのように感じました。
思い出を振り返ったり過去の写真を眺めたりしていると

「あの時はよかったなー」

と過去が輝かしく思えて、今の自分がつまらなく、みじめに思えてくることがよくあります。

でもその輝かしく思えた過去も、その時はさらに昔の過去を振り返って

「あの時はよかったなー」

と過去を輝かしく思っていたことを思い出しました。

結局ないものねだりというか、本当の大切さはなくなってから気づくんですよね。
この曲ではこれの逆のことを歌っていたんですね。

楽しく笑っている未来を想像していると、今の自分がつまらなく、みじめに思えてくるんですよね。
そしてその未来が今になって、結局まだ想像していた未来にはいなくてまた未来を夢見て・・・今がみじめに思えて・・・

歌詞の内容は誰もが送っている普通の日常で特に特別なものでもない。

普通に生活をしている人も心の中では悩んでいたり迷っていて宇宙のように果てしない想いがぐるぐる回っている。
ありふれた日常が壮大な物語になった、まるで私たち一人ひとりの人生にスポットライトを当てるかのように。

他人に話したらちっぽけな悩みだと笑われそうなことでも、バンプはそれがどれだけ大変なことなのか一人一人の気持ちにそり沿ってくれているような気がしました。

藤原さんなら1本のコーラを題材に1本の映画でも作れそうですね(笑)

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