表題のとおりですがBUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)がいかに凄いバンドなのかを語りたいと思います。
大袈裟な言い方かもしれませんがバンプのいる時代に生きていることは「歴史的瞬間に立ち会っている」ことだと思っています。
音楽界の歴史に名を残したバンドといえば「The Beatles/ザ・ビートルズ」が挙げられますが、日本語ゆえに全世界に影響を与えることはできませんが、バンプはそれに相当する存在です。
藤原基央は何がすごいのか?
藤原基央は日本のロックを変えた!
バンプが大ヒット曲「天体観測」を世に放ったのが2001年のことで当時わたしは中学生でした。流行と言うよりもはや社会現象で、学校で休み時間や放課後になると必ず誰かが歌いだすほど当時の若者に与えた影響は計り知れません。
私はその時はそれほどハマらなかったのですが、歌詞が異様に耳に残っていたのを覚えています。
「見えないモノを見ようとして望遠鏡を覗き込んだ?」、「2分後に君が来なくとも?」
「なんなんだこの歌詞は!?一体どういう意味なんだろう?」
バンプの放つ歌詞は私に「?」という疑問を与えてくれた。
当時はGLAYやL’Arc〜en〜Cielが大人気で、ほとんどの人が聴いていて私も例外ではありませんでした。
またインディーズではハイスタンダード、ゴーイングステディなども流行っていたのですがバンプの音楽は明らかに異彩を放っていました。
これほど歌詞に耳を傾けたことはありませんでした、おそらく歌詞の意味を真面目に考えたのも「天体観測」が初めてだったと思います。
「言葉を伝える歌詞」というものは当時のファンじゃなかった頃の私にもしっかり機能していたんだと思い知らされました。
当時のインディーズでは英語の歌詞を歌うアーティストが多い中で藤原基央はそんな周りの風潮に流されずに伝えたいことを綴るために日本語の歌詞で曲を書くということがどれだけ勇気のいることだったことか。
日本語に加えて藤原基央の異常なまでの作詞力には驚かされます。とても20代の若者が書ける詩とは思えないし、なにより斬新だった・・・音も歌詞も当時はすべてが新しかった。
当時メジャーで活躍していたアーティストの多くは30代を越えていて、「天体観測」を歌う22歳の若者たちの登場に新時代の幕開けを感じていた(と思う)
RADWIMPS、米津玄師など今の音楽界をリードするアーティストもバンプに影響を受けていて後世への功績も非常に大きい。
バンプの楽曲はさまざまな業界人からオファーからくるほど熱烈に支持されています。
バンプがいなかったら現在の音楽シーンは変わっていたというほどまさに「歴史を変えたバンド」なのです。
人間の核心を突いた歌詞
バンプの魅力と言えば藤原基央が綴る歌詞は外せません。
人間ってなんだろう?と思わせるものから、生きる意味や呼吸すること、お腹が減ることなど人間の根源的なものについて考えさせられる難解かつ哲学的な歌詞が聴く人の心を鷲掴みにしているのだと思います。
答えがわかっているモノほど退屈なことはありません、答えがないから聴く人は考え、考察や解釈をし、バンプの曲の虜になっていくのです。
また藤原基央の歌詞には似たような言葉の言い回しや、テーマが似ているのも特徴に挙げられます。
言い換えると“テーマに一貫性があるのです”、さらに言い換えると“伝えたいことが決まっている”
“ひとりの人間が『心から言いたいこと』なんて、突き詰めるところまで突き詰めてしまったら、そんなに種類はなかったりして”‐藤原基央‐
SONGSのインタビューより
ブレない歌詞を書き続けることで、知らず知らずのうちにリスナーからの信用になっていったのです。
テーマが似ていながらも曲の雰囲気がそれぞれ違って見えるのは、それこそ彼の作詞力によるものでしょう。
背中を押す歌詞ではない
そして彼の歌詞の一番すごい所は、曲を聴いた人が自分で納得して前に進もうとさせる力だと思います。
よく「背中を押してくれる歌詞」とか言われますが、誤解を恐れず言わせてもらうと、私はそうは思いません。私は「自分で自分を助ける歌詞」だと思ってます、
私には藤くんが「僕は何もしてないよ、君が自分で頑張っただけだよ」と言って微笑んでくれてるような気がします。
物語形式の曲が新しいカルチャーを生み出した
2018年現在のインターネット普及率は90%を越えていますが、バンプがメジャーデビューした2000年はちょうどインターネットが一般家庭にも普及し始めた頃で、2ちゃんねる、Amazon、Googleなどのサービスが開始され、当時の普及率は37.1%でした。
2003年、兄が情報系の大学に進学したことにより我が家にもついにパソコンがやってきました。珍しかった兄のパソコンを兄弟4人でいじってyoutubeなど見ていました。
その時に流行っていた動画が「ラフメイカー」、「K」をアニメ化した動画です。
有名なので見たことがある人も多いと思いますが、言いたいことは流行っていたということじゃなくて、バンプの曲に絵が加えられたこと。
「物語形式の曲」を作ることで有名なBUMP OF CHICKENですが、物語ゆえに曲を聴いた時に誰もが頭の中でイメージする映像があるのです。
曲のイメージから「絵」を起こすこと、これはボーカロイドの先駆けとも言える行為だったのです。
元ボカロPであるハチこと米津玄師さんもバンプに影響を受けた人物として有名ですが、他にもsupercellの「君の知らない物語」も天体観測に影響を受けていると受け取れる内容になっています。
音楽ジャーナリストの鹿野淳さん曰く
“BUMP OF CHICKENが居なければ今のVOCALOIDカルチャーはここまで成長しなかった”
‐鹿野淳‐
「ray」が初音ミクとタイアップして戸惑ったファンも多いと思いますが、クリプトン社のボーカロイド初となるコラボの相手がBUMP OF CHICKENだったのも頷ける話です。タイアップというよりはリスペクトに近かったのかもしれませんね。
プロデューサーMORの功績
知り合いの元音楽業界の人に聞いた話なのですが、どれだけアーティストが素晴らしい曲を作ってもプロデューサーの腕が良くなければ絶対に売れないそうです。
一般的な会社にも言えることですが、新商品を開発したらそれを宣伝して良さをアピールしなければ顧客はそれを知ることさえできないですし、売り方にも一工夫が必要なんです。
テレビなどのメディア出演を敢えて避けた
バンプがテレビなどのメディア出演が少ないことは広く知られていますが、それもプロデューサーとしての腕の見せどころなのです。
本人たちの意向もあると思いますが、言ってしまえば雇われの身なのでプロデューサーの鶴の一声でテレビに出ろと言われればバンプは断れないのです。
それをしなかった理由の一つはファンをインターネットに目を向けされる為です。雑誌など有料メディアでしかバンプの情報を得る手段が少なかった初期はインターネットで無料で手に入るバンプの情報がまるで埋まっている宝物を探すかのように思えたことでしょう。
無料で情報が手に入ると言うことはファンを飽きさせないということにも繋がります。
またyoutubeでのPVの無料視聴やポンツカのネット配信、インタビューの記事なども全て無料で手に入ってしまう。
「無料にしたら売上げがさがるんじゃないの?」
と思うかもしれませんが、100人の視聴者のうち1人がファンになってCDを購入してくれれば利益が生まれます。こういう小さな積み重ねが多くのファンを生み、さらにそうすることで知名度が上がり、聴いてみようかな、という人がさらに出てくるという仕組みです。
おまけに無料動画はあえて音質を少し下げるという徹底ぶり、MORさん凄すぎる・・・
お笑い芸人のキングコング西野 亮廣さんは「無料公開しても作品に価値があれば売れる」と語っています。
PVの無料視聴というやり方は今では珍しくありませんが、バンプは時代の最先端を行っていたのです。
沈黙の15年
そしてテレビに出なかったもう一つの理由は、「話題作り」です。
メディアにほとんど出ないバンドとなればそれだけで話題になります。
私自身もそういう硬派なところもかっこいいと思っていました。
そしてメジャー後、約15年の沈黙を破り地上波初出演となる「Mステでの生ライブ」を行いました。
画像:Bitter and Sweet つれづれ日記 – FC2
このニュースを耳にした時は、仕事中でありながら奇声を上げてしました。これほどインパクトのある話題になったのは、もちろん15年の沈黙があったからでしょう。
そして畳み掛けるように「SONGS」、「NHK紅白歌合戦」へ出演、しかもタイミングを見計らっていたかのようにバンプの新たな代表曲「ray」が発表された後のことでした。(テレビで演奏された曲はどれもrayが入っていました)
これは一度バンプを離れてしまった人に、新しいバンプの魅力を伝える為でもありますし、新しい若い世代にもバンプを知ってもらえるという二重の意味での戦略だったのです。戦略と書くとお金儲けみたく聞こえますが、私が言いたいことはMORさんがどれだけ凄い人なのかってことです(*_*;
この他にもライブでの“ザイロバンド”や“恥ずかし島”の導入や曲のアイデア、バンプと親友のような関係を作っていたりと彼の功績は数え切れません。
彼は時代を先取りする先見の明があっただけでなく、人の心理を読み取ることができる敏腕プロデューサーだったのです。
藤原基央とMORとBUMPの三位一体
藤原基央さんが作詞家ならMORさんは策士と言ったところでしょうか。
藤くんばかり贔屓(ひいき)しているように聞こえるかもしれませんが、他のメンバーが別にすごくないってことじゃありません。
藤原基央とMORさんが天才過ぎるのです、それを支えるメンバー無くしてはきっと続けてこれなかったでしょう。
俺、あの3人が一緒じゃなきゃやっていけねえ
‐藤原基央‐
これはデビュー前に藤原さんが引き抜きの話が来て断った時のセリフです。
引き抜きは音楽界では珍しいことじゃないみたいですが、正直な話、藤原さんの思い描く音楽を表現するにはプロを雇ったほうが早いのかもしれません。
でも彼は支え合える仲間を選んだのです、リボンの歌詞を引用するなら“そばにいることを選んだ”
だから藤原基央は迷子にならずここまで来れたんだと思います。
誰か一人が欠けてはいけない、藤原基央、MOR、BUMP OF CHICKENは3つで1つの三位一体なのです。