『話がしたいよ』歌詞の意味‐過去と未来を旅する心の動き‐

BUMP OF CHICKENの「話がしたい」の歌詞の意味を解釈を綴っております。非常に長いので、基本情報や歌詞の意味をサクッと知りたい方は別記事にまとめておりますので、そちらをご覧下さい。

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話がしたいよの歌詞解釈と意味

「話がしたいよ」を最初に聴いた時の気持ち

2018年10月9日にラジオSOL(スクールオブロック)にて『話がしたいよ』のフル音源が初オンエアされた。解釈の前に初めて聴いた感想を綴ります。

この曲を聴いて「感動した」という人ならこれから私が書く気持ちをわかってくれると思う。

「この気持ちを忘れたくない」

こう思った人は少なくないはずだ。20年以上生きてきた人なら似たような気持ちに出会ったことは何度もあると思う。

私は曲を聴いている間、泣きそうで泣けないような、ずっと嗚咽が込み上げてくるような、心臓をぐりぐり掴まれてるような、だけど心地が良い・・・そんな気持ちになりました。

それは誰なの?ずっと私の心臓をつかんでる人、私のことを泣かせようとしているのは誰なの?その気持ちは必死で何かを伝えようとしている、まるで赤ん坊が泣いて親に何かを訴えかけるように。だけど私にはわからない。

わかっている、この気持ちはずっと続かない、明日になれば忘れてしまうもの。人は感動するものに出会った時になんとも表現し難い気持ちになる。その気持ちをうまく言葉にできなくて胸の辺りでつっかえて苦しくなる。

案の定、次の日にはその時感じた気持ちを忘れてしまっていた。ただとても苦しかった、何かを伝えたかったという記憶だけを残して。

歌詞からの引用ではないが私はその時、その瞬間に、一体どんな言葉に出会っていたんだろう?もしその時の気持ちにもう一度会えるなら話がしたい、心からそう思った。

赤ん坊が泣くのは、まだ言葉を知らないから泣いて自分の気持ちを伝えているそうだ。大人も同じだと思った。気持ちを言葉にできない時は涙が込み上げてくるのだ。

(2018.10.9)


ガムと精神世界へのスイッチ

『話がしたいよ』・・・この曲は普段のあわただしい日常の中で見落としてしまっている幸せ、そして「今ここにいないものを欲する欲求」だと感じました。バスを待つわずかな時間の心の動きを描いていて、心の浅いところからから始まり心のより深いところまで潜っていく様子がおもしろいと思いました。

《持て余した手》というフレーズから始まるが、その後の《おまけみたいな時間》ということから普段はない時間、つまりバス停にいつもより早く着いたことがわかります。手を持て余していたのは時間を持て余していたという2重の意味だと考えられます、藤くんのこういうさりげない文学的表現さすがです!

いつもより時間があったので普段気に留めない生活の音や信号の赤と青、自分が今一人でいることに意識がいく。後に登場する「自分の呼吸の音に耳澄ませる」のも時間があったからなのでしょう。

“ひとりぼっちだからこそ痛烈にわかることっていうのが、曲にも出てると思います”

藤原基央
出典:CUT 2018.11

《ガム》という日常をイメージする食べ物が登場しますが、これは1人でいることを紛らわせる為に噛んだのだと思います。なんとなく一人で何もしていないのが気まずい、恥ずかしいと思った人って少なくないと思います。多くの人はそういう時にスマホをいじってると思います。歌詞にも自分を隠したってありますしね。つまり簡単にいうと《ガム》は精神世界へ入るためのスイッチみたいな役割です。

最後にはガムを紙に吐き出して現実世界に戻りバスが来るという構想を作っています。

ガムはとても日常を思い浮かべやすいアイテムです。アリア以降、藤原さんの綴る歌詞には「紙飛行機」「風船」「コーラ」など日常をイメージさせるアイコンが度々登場します。

こういう日常のアイコンが登場するようになったのは『リボン』で藤原が話していたように「メンバーといっしょにいることは当たり前じゃない」という身近にある幸せを再認識するようになった藤原の心境が表われているからではないかと思います。



今ここにいない君

“君がここにいたら 君がここにいたら 話がしたいよ”

「話がしたいよ」/BUMP OF CHICKEN

人間が生きていけるのは欲望があるからです。食欲、睡眠欲、性欲などの「肉体的欲求」や夢、願望、承認欲求などの「精神的欲求」がありますがそれらを満たすことが人間の幸せや生きる力になっていることは否定しようのない事実です。

人が「今ここにないもの」を求めるという行為はごく自然なことで、曲のサビの『君がここにいたら 君がここにいたら 話がしたいよ』と2回繰り返すことで今ここにないものを強調し、それを欲する様子がガッツリ表われています。

そして「今ここにいないもの」との間には瞬間的に飛び越えることのできない距離があります。気持ちは「今ここにいない君」を思っているのに、距離があるせいで会うことができず、その気持ちは今すぐには成就できない・・・「距離のせいで成就できない気持ち」この時の気持ちは未来を見ていますね。

人間ってもし体がなかったら、一瞬で心はその人のところまで飛んでいけそうな気がします。

「ボイジャー」を引き合いに出した理由


ボイジャー2号(想像図) Wikipediaより

2番の歌詞には「今ここにないもの」を象徴するかのように《ボイジャー》が登場します。ボイジャーとは『旅人』を意味するアメリカの打ち上げた無人惑星探査機です。そして歌詞で言ってるように今も太陽系外を旅しています。

その後に主人公は自分の呼吸の音に耳を澄ませてこう考えます。

“体と心のどっちに ここまで連れて来られたんだろう”

「話がしたいよ」/BUMP OF CHICKEN

《ボイジャー》の後に《体と心》が出てきた理由は比較するためだと思います。ボイジャーが旅を続ける理由は作り出した人達の願いを叶えるためです。ボイジャーの旅をする意思は地球に住む開発者達にあり、ボイジャー本体に意思はないのです。つまり体と心が別のところにあるのです。なのでボイジャーはどうして宇宙を旅することになったのかわからないのです。

主人公は人間なのでボイジャーと違い、体と心が同じ場所にあるので自分がここまで来た理由、それが人生なのかバス停までなのかわかりませんが旅の始まりを考えるわけですね。でもそれがわからないわけですね、理由は後ほど説明しますが、代わりに《お薬》が登場します。

“どっちもくたびれているけど
平気さ お薬貰ったし 飲まないし”

「話がしたいよ」/BUMP OF CHICKEN

《薬》とは「欲望」のことなのでしょう。欲望があったからここまでくることができた。だからどれだけ疲れていても君と話がしたいという欲望を貰ったからこれからも歩いていける。

薬(欲望)を飲んでしまったら、欲望がなくなって(治って)しまうから飲まないのです。



思い出と引き換えに忘れていく気持ち

私たちは普段の生活の中で誰かと楽しく話している時は「話がしたい」なんて欲求は沸いてこないと思います。「話がしたい」と思うときは話したい相手が「今ここにいない時」、もしくは愛想笑いなどで「本音を隠していた時」だと思います。

そしてその「○○がしたい」という欲求、気持ちは時間が経てば忘れてしまいます。どれだけ思い出が記憶に残っていても気持ちは記憶に残らないからです。

“だって忘れられないなら 思い出にできないから”

「飴玉の唄」/BUMP OF CHICKEN

私たちは無意識のうちに気持ちを犠牲にして思い出を作っているのです。別な記事でも書きましたが、例えば「ディズニーランドに行きたい」という気持ちはディズニーランドに行ったら成就して消えます。代わりに「ディズニーランドに行った」という思い出になるのです。

“抗いようもなく忘れながら生きてるよ
ねえ一体どんな言葉に僕ら出会っていたんだろう

「話がしたいよ」/BUMP OF CHICKEN

気持ちを忘れながら生きていくことは抗いようのない事実です。その代わりに思い出を手にするのです。《夏の終わる匂い》という歌詞も「夏の終わる匂いがした時の映像(思い出)」を覚えているという意味です。そもそも匂いを思い出せる人間は存在しないですからね。

“鼻で愛想笑い 綺麗事 夏の終わる匂い
まだ覚えてるよ
話がしたいよ”

「話がしたいよ」/BUMP OF CHICKEN

《まだ覚えてるよ》《話がしたいよ》この二つは思い出と引き換えになくなってしまった過去の気持ちと話がしたいという意味だと思います。根拠は体と心のどっちにここまで連れてこられたのか自分のルーツを探って、どうやっても過去には戻れないと嘆いている様子からわかります。

過去の気持ちに対して話がしたいってすごく切ないですよね・・・だって過去の気持ちと話をするなんて不可能ですからね。今感じている「話がしたい」って気持ちは成就されなければ思い出にできない、つまり記憶に残すことができないのですから・・・

例えば亡くなった人と話がしたいと思っても不可能なように、過去と話をすることはできない。だったらこの気持ちはどうすれば成就できるのだろうか?

“やり場のない思い”とでも言うのだろうか?こう考えると最後のフレーズがとても腑に落ちる。

“今までのなんだかんだとか これからがどうとか 心からどうでもいいんだ そんな事は
いや どうでもってそりゃ言い過ぎかも いや 言い過ぎだけど そう言ってやりたいんだ 大丈夫 分かっている”

「話がしたいよ」/BUMP OF CHICKEN

個人的にこの“藤原節”とも言える言い回しがなんともたまらないのだがそれは置いといて、先ほどの過去の君と話がしたいという気持ちはどうやっても成就させることができないという事実をなんとか説得させるように無理やり自分に大丈夫だと言い聞かせている様子が最後のフレーズからうかがえる。



そして精神世界のスイッチである《ガム》を吐き出して、バスという現実世界のドアが開くわけですね。ストーリーを考えればバスの行き先は「君」の所なんでしょうね。

精神世界の未来と過去を旅した心の終着点

とても起承転結がしっかり描かれた物語形式の曲ですが、いったい何を伝えようとしているのか?長々と主人公の心の動きについての解釈をしてきましたが「心がどこにあるのか?」ということを考えて頂きたい。

「遠いところにいる君を思う気持ち」「太陽系外を旅するボイジャーのことを考えてる時の気持ち」「話すことのできない過去の君を思う気持ち」・・・バスを待つ間に主人公の心は遠い未来や取り戻せない過去などを行ったり来たりするわけですが、それを考えてる場所、心がある場所は【今】なんです。この考えに関しては『天体観測』の記事を読んで頂けると光栄です。

『天体観測』歌詞解釈と意味‐みんなが追いかけているもの‐

先ほど言ったように気持ちは思い出に残らない、いつだって気持ちは今この瞬間にしかないのです!

“この瞬間にどんな顔をしていただろう”

「話がしたいよ」/BUMP OF CHICKEN

『話がしたいよ』という楽曲は普段忙しい日々を過ごしていて人生に疲れたり迷ったりした時、ちょっと立ち止まって一人になって自分の心の場所を確かめてほしい、【あなたが本当に話したい人はいつでも“ここ”にいる】というメッセージを感じました。

“登山の休憩所みたいなところに、どっこいしょって腰掛ける感じってあるじゃないですか。それすらも曲にできたというのが僕はすごく嬉しい”

藤原基央
出典:CUT 2018.11

藤原さんは「体力切れだからこそ書けるものがある」と思ってこの曲を書き上げたそうです。私たちは普段、呼吸をしていること、体があること、いつもそばにいてくれる人がいることなど忘れて生きています。それに気付くためにも少し立ち止まって休憩ことも必要なのでしょう。

「大切なものって普段は忘れているんです」藤原基央

作詞者である藤原基央がプロデューサーから頼まれたことは先ほど書いた通り、お金にまつわる人間の業や煩悩、新しいお金の価値、身近にある小さな幸せです。そして『話がしたいよ』はその全部を包みこんだ楽曲になったと話しています。

業や煩悩⇒人間を突き動かす欲望

身近な小さな幸せ⇒普段気付かないもの

「新しいお金の価値」だけちょっとあいまいなのですが、最後に主人公は自分をなんとか説得して【今】が大切であるということ価値を受け入れようとしています。つまりお金の新しい価値とは貯金とか未来の安心の為じゃなく、大切な今を生きるためにあるべきという価値感なのではないでしょうか?

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