「コロニー」歌詞の意味~心が見る世界と言葉で作る世界~

実写版「寄生獣」の主題歌に使われたBUMP OF CHICKENの「コロニー」。

コロニー【colony】の意味は植民地、または植民者の集落

植民地とは辞書では新しい土地に移り住み新たに開発することとありますが
一般的には新しい土地を支配するという意味で使われます。

おそらくバンプのコロニーも支配された土地という意味で使われていると思います。

“心が作った街で起こった事”

このフレーズが印象的な曲ですが植民地とは心が作った街ということなのでしょう。
結論からいうと“心が作った街”とは比喩でもなんでもなくそのままの意味であると私は解釈しました。それでは順を追って説明していきます。

※「コロニー」の記事は新しくまとめた記事があります。

コロニーの楽曲情報と歌詞の意味へ

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心が無ければ五感は働かない

ついにこいつ頭がおかしくなったか??

五感に心が必要なわけないじゃないか、という声が今にも飛んできそうですが

心=意識と考えるとどうでしょう?

例えば視覚、目で捉えた光が脳に伝わり映像が作られるわけですが本当に目に入ってきた光を全部見えてるでしょうか?

眠っている人の瞼をこじ開けても寝ている人にはなにも見えていません。
今このブログを読んでいる時に画面以外の景色は見えません。

なぜ見えないないかと言うと最初に言った通り

「心/意識」がないから見えないのです。

「Hello,world!」の歌詞中でその答えが書かれています。

ずっとそれと一緒 そうじゃないと 何も見えないから

そう、心と一緒じゃないと何も見えないのです。

私たちは肉体と心で呼吸を分かち合って生きています、心がなければただの生命維持するだけの生き物でリスクのあることに対しては脳が身体を守ろうとして絶対にしません。

なんの得にもならないような夢に挑戦しようと思えるのも心があるからなのです。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、これら五感が働く前に必ず心があります。

感じ取っているものが心です。
見ているとわかっていること、触っているとわかっていること、認識しているものが心です。

こんなに今生きているのに 嘘みたい 掌で教えて
こんなに今生きていること 触ったら 同じように応えて

触れているという感覚が心です、だから
掌で教えて、同じように応えてと言っているのですね。

言葉が形を決める

どこだろう今傷んだのは

このフレーズは藤原基央さんが肺気胸にかかり胸が痛かったことから浮かんだ言葉です。
実際に痛かったのは肺なんでしょうけど、病院に行くまでは胸のあたりが痛いという曖昧な感覚だったのではないかと思います。

身体の内側なので目に見えない場所なので自分では明確にどこが痛いのかわからないはずです。
医者から肺気胸と診断され、痛かったのは肺だということを知り、どこが痛かったのかわかったのだと思います。

別な言い方をすると「肺気胸」という言葉を知ったからどこが痛いかわかったということになります。

私たち人間は言葉で世界を認識しています。

そもそも言葉がなければ考えることもできなければ、なにもわからないし見ることすらできません。

逆に言えば言葉が物事を特定の形に決めてしまうということにもなります。

なんだかややこしい話になってきたと思っているかもしれませんが
例えば、イスをイスという言葉で括ってしまえばそれはイスでしかありません。

もしかしたらベッドにもなるかもしれないのに他の可能性を排除してしまうわけです。
バンプの「リボン」が使われているギャラクシーのCMで弥生時代にタイムスリップし卑弥呼がスマホを見て

「これは鏡か?」
というシーンがあります。

卑弥呼は当然スマホを知らないので、スマホを電話という言葉で形作ることができなかったのですね。
逆に言えばスマホを見る角度を変えれば別なものになり得るということですね。

形とは脆いですよね、言葉次第で何にでもなり得るのですから。

もう一つ例を挙げると

「この文字の色は何色ですか?」

当然こんな質問をされたら私たちの常識なら赤と答える。それはこの色は赤だと教えられてきたからだ。

ではもしこの色が緑と教わってきたのならこの真っ赤な色は緑になります。

他の人が同じ色に見えているのか私たちは知る術がありません。ただこの色は赤という名前だと知っているだけなのです。

色弱で見え方が違う人でも赤は赤なのです。

言葉とは曖昧に揺らいでいるこの世界をみんなが共通認識できるようにする便利なものなのです。

自分の心や気持ちを言葉にすればそれは形となり誰かに伝えることができる。
「ありがとう」という言葉を伝えれば相手には感謝の気持ちを伝えられるが言葉だけではそれ以上は伝わらない。

私はコロニーの歌詞を見たときに違和感を感じました。
それは単語単語で綴られていてなんのことを言っているいるのか歌詞の全体が掴めないことでした。

しかしそれも藤原さんの思惑通りだったというわけですね、世界の形は常に揺らいでいて、言葉が形を決めるということを強調したかったのだ。

 

~memo~
量子力学では物事は観測するまで形が決まっていなく波のように揺らいでいます。
人間が見た瞬間に形が決まります。これを「観測者効果」と呼びます。
気になった方は調べてみて下さい。

言葉で形作られた世界、言い換えれば常識。それが盾ならそれを切り開くのは意思の剣だ。
私たちが前に進むことを恐れるのはなにが起こるかわからないからです。

それを可能にするのが意思の力、常識をいくらでも塗り替えることができるのです。


なぜコロニー【植民地】なのか?

私たちはなぜ生きていれるのでしょう?
生まれたことに意味なんてあるのだろうか?

誰もが一度は考えたことがあることだと思います。

その答えは未来への希望ではないでしょうか?

私たちにはなにかしらやることがあります。
夢、遊び、仕事、自己実現、ライブや旅行、明日はきっと良いことが起こるなど未来を楽しみにして生きています。

たとえ未来に絶望しか思い描けないとしても希望を持つことができます。

FF13のライトニングのセリフでこんな言葉があります。

「絶望に抗う希望、それが人の力だ」

私たちは何かにすがっていないと生きていけないのです。
神、科学、希望、未来、過去、人、言葉など何にもすがらずに生きている人は誰一人いません。

何かにすがるのは心が反応するからで、結局のところ決めているのは心なのです。

私たちは心に支配されているのです。

「コロニー/植民地」というタイトルから心に支配されていると表現しましたが、心が生きる理由を決めていると言い換えることもできます。

ありがとう あなたは光 それだけが 続ける理由

この曲のメインフレーズでもある“心が作った街”の意味もこれでわかったと思います。
この世界にあるものは誰かが心で願ったものを現実で作ったものです。

誰かが空を飛びたいと思ったから飛行機を作った、安全に生活できるように家を作った、遠くの人と話ができるように電話を作った・・・など

私たちの世界は誰かの心が作ったもので溢れています。
もしかするとこの宇宙は魂が望んだものなのかもしれませんね。

心はいつだって必死に応えている

“聴こえた自分の音は 正体を当然知っていて
響いたら正しい矢になって 戻ってきた
卑怯者 鏡の奥に 気づく前に目を背けた
助けを呼ぶ ひとつとひとつ 狙いあう”

鏡に映るのは自分の肉体、では鏡のこちら側は誰だろう?

前述した通り見ていると認識している感覚が心なので、鏡のこちら側に在るのは心なのだ。

鏡に映る自分の肉体とそれを見ている心。
目を背けたと言っているので、自分の心から逃げていると読み取れる。

さらに“助けを呼ぶひとつひとつ”とはお互いに助けを呼んでいる状態である。

そう、私が困難に陥り助けを呼ぶときはいつでも心は正しい道を教えてくれているのだ。
だからそれに目を背けずに狙いあうということは自分の心と向きあうこと、
肉体と精神(心)が一つになった時です。

つまり心と向きったのでそれを現実世界でそれを作っていける覚悟ができたということです。
だからそのあとのサビの歌詞で

生まれたこと 知らせた声

というフレーズに繋がるのです。
生まれたこととは心で願ったことが現実世界に現れたということですね。

側にいて(yeah) 行かないで(yeah) 微笑んで頷いて(yeah)
側にいて(yeah) 行かないで(yeah) 重なって音聴いて(yeah)

ここの歌詞は全て「~してほしい」という切実な想いをありのままに表現しているのが特徴的ですが
その想いの後すべてに「oh yeah」というコーラスが入っています。

【yeah】の意味は【YES】

つまり「はい」と言っているのだ。
このコーラスは心の声以外に思い当たるだろうか?

そう、心は私たちの想いや願いにいつだって「はい」と応えているのだ。

願えばいつもそこにあるのに私たちは気づかない、見えていない。
心はいつだって私に気付かれるのを待っている。
心はこの世界に生まれることを楽しみにしている。

自分の心を織ることができるのはいつも自分と心の二人だけなのです。


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