『宇宙飛行士への手紙』歌詞解釈~生き抜いた稲妻をいっしょに見られたからの意味~

BUMP OF CHICKEN「宇宙飛行士への手紙」歌詞解釈。昔書いた記事ですが今と考え方が変わっているのでいま意味を考察したら違った解釈になると思います。

このブログは自分の備忘録でもあるので昔はこんな考え方してたんだと振り返るために載せておきます。

※この曲には新しくまとめた記事があります

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バンプオブチキンの宇宙飛行士への手紙のジャケット
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曲の構成

歌詞の構成が1番が人間パート、2番が魂パート、ラストが人間と魂両方のパートである思われます。
というのも歌詞中に

“そしていつか星になって また一人になるから”
ゼロで書きましたが魂は光だと考えているので死んで肉体から離れたらまたもとの光に戻ってしまう。
2番の歌詞中の時間の長さがわからない様子書かれいることから人ではないことがわかります。

決定的なのが
“ひっくり返した砂時計 同じ砂が刻む違う2分”
砂時計をひっくり返す→時間を巻き戻す→自分が生まれる前の時間→肉体に宿る前の魂、と解釈できます。

それに砂時計って普通は3分ですよね。それなのに2分と書かれている。
この文字を分解すると

つにかれる”となります。肉体と魂を2つに分けるという意味になります。
そうやって歌詞を見ると面白いことに

砂時計をひっくり返す→時間を巻き戻す→自分が生まれる前→肉体と魂が2つに分かれる→肉体に宿る前の魂
となります。天体観測の二分後も同じ使われ方をしてます。主人公は現在から過去を分けて考えているので“二つに分かれた後に(二分後に)”君(過去の自分)が来るわけですね。

キーワードは相対性理論

この歌詞を理解するには「相対性理論」を知っていた方がわかりやすい。
詳しい内容を知りたい方はそれぞれ専門の本やらサイトで調べてもらうとしてここでは簡単に・・・

相対性理論とは見方の違い、観測のしかたの違いといったところでしょうか。

例えば自分がなにもしないでじっと座っていたとしましょう。
その場合自分は本当に動いていないのか?

地球上の視点から観ればたしかに動いていませんが地球は自転しているので宇宙からの視点で観れば座っていても動いているということになります。

極端な話ですが大まかにいうとこういうことなんです。
どこに基準を置くかで見方が変わるとも言えます。

それから光と速度について。光速は約秒速30万㎞。

物質の速度が光速に近づけば近づくほど時間の流れがゆっくりになる

そして光をも吸い込み捻じ曲げるといわれいるブラックホール。
例えばの話でブラックホールに吸い込まれている人をブラックホールの重力の影響を受けない遠いところにいる人が吸い込まれている人を観測すると止まっているいるように見える。

もちろん吸い込まれている方の人からしたらそれは一瞬のことで、いや何も感じることもないうちに吸い込まれて重力に押しつぶされてしまうでしょう。
こういったのも相対性理論。

相対性理論を歌詞に当てはまめる

歌詞の最後の方にある

“死ぬまでなんて嘘みたいな事を 本気で思うのは
生きようとして 生き抜いた 稲妻を一緒に見られたから”

稲妻が地面に落ちる速度は光速ではないにしてもかなり光速に近いです。
つまり相対性理論を当てはめれば稲妻には地面に落ちるまでの時間がとてもゆっくりに感じている。

もちろん雷には時間を感じることはできまん。

だから歌詞中では「生き抜いた稲妻」と擬人化して書かれていて、もし雷が生き物だとして時間を感じることができるなら地面に落ちるまでの時間、それはとてつもなく長い時間なんだよってことを表現したくて擬人法を用いているのでしょう。

光速と同じ速度になったときに時間は止まると言われていますから光速に近い雷が地面に落ちるまでの体感時間は気が遠くなるほど長いことでしょう。もしかしたら何百年何千年かもしれません。

2番の歌詞にも

“同じ砂が刻む違う2分
長いのかな 短いのかな”

と相対性理論をほのめかすフレーズが出てきます。

私たちが見ている一瞬の雷の光、私にとっては一瞬でも雷からしてみたら気が遠くなるほど長い時間。

1秒は何百年にもなりえるのです。
雷が落ちて、それを見ている二人がいる。

その時間は雷にとっては永遠に近い時間、二人にとっては一瞬の出来事、
同じ時間をそれぞれが違う感じ方をしている。

この雷とそれを見ている二人はどちらも地球で起きていることです。
その地球を外側、別な星から見たらどうでしょう?

永遠に近いような時間をかけて地面に雷が落ちる、それを一瞬のうちに見る二人、そしてそれが起こった地球・・・

仮に私たち人の一生を100年とし、雷のように人生を一本の光であるとするなら私たちには100年に感じる時間も遠くの宇宙から見たら雷が落ちる瞬きをするくらいの時間に感じてしまうわけでその遠くで見ているひとは100年という人の長い人生を一瞬のうちに見てるわけです。

もう一つ例を挙げるとさきほど説明したブラックホール。

地球からブラックホールに吸い込まれている宇宙飛行士を見たらどうなるでしょう(仮定の話です)
地球からブラックホールを見ると重力が強いので吸い込まれている宇宙飛行士はほぼ止まって見えるのです。

でも吸い込まれている人からすると雷がピカッとするよりも早くブラックホールに吸い込まれてしまう。
それでも地球から見れば何百年経っても吸い込まれる宇宙飛行士はほぼ止まったままでしょう。

何が言いたいかというと、
宇宙飛行士が一瞬でも地球の光を見たということは誰かの人の一生分以上の光を見たと言うことになる。



宇宙飛行士への手紙の内容とは?

まとめると、生きようとして生き抜いた稲妻をいっしょに見れたってことは死ぬまでいっしょにいられるのと同じこと。でもその条件は地球の外側から誰かが観測しなくてはならない。

だから地球の外側の人である宇宙飛行士に

「その光を観測して下さい、そうすれば死ぬまでいっしょにいられるということだから」

ってことを伝えたいのでしょう。
相対性理論はロマンチックですね。

なぜ踵なのか?

歌詞の冒頭が踵が二つ~から始まっているのもとても興味深い。
一人と書けばいいところを敢えて踵が二つと表現している。

これは「踵」という文字に着目すると“足”が“重い”というように成り立っています。

これによって重力があることを表し、辛くても頑張って歩く様子をイメージできます。
それにさきほど説明したようにこの曲は宇宙飛行士に今の光を見つけてほしいという内容なのでその光が存在するために必要なものとしての「重力」を表していると思います。

「光」の反対は影や闇ではなくて「重力」なんてですよね。

“一人”ではなく“踵が二つ”と表現することでイメージできる幅が広がることを狙った言葉選びなのだ。

宇宙飛行士への手紙の歌詞を見て藤原基央の人生観というのは雷のように一筋の光のようなものだと捉えているのではないかと感じました。
雷が空から始まり地面に到着するように人の人生も自分という光が生まれその光を運んでいく、分かれ道があっても結局は一つしか選べないので道を振り返れば一本道である。

自分の人生を終えた時に雷と同じように一筋の光ができあがる。

遠くの宇宙にいる宇宙飛行士にはその人の人生の光は稲妻のように一瞬のできごとでもその光の中には泣いたり笑ったりした過去や想いや言葉が詰まっていて

光だけではわからない、言葉でしか伝えられないものがあるんだよって意味が込められているんだと思います。

同時に光である魂は光の中にある想いを言葉にしたくて生きている私たち間に宿ったんだよって意味も込められているだと思います。
光の中に想いや言葉があるなんてにわかには信じられないかもしれませんが身近なものでいうと電波がわかりやすいと思います。

地球上にある見えない光

「データを送る」とか「ケータイでメールを送る」って今では一般的なことです。
その電波って実は光なんですよね。

この光の中には莫大な量のデータが入っているのです。
例えば「ありがとう」という内容のメールをケータイが受信する前は地球上を「ありがとう」という言葉が詰まった見えない光が飛んでいるのです。

宇宙に広がる星の光には誰かの一生や数えきれない程の想いや言葉が詰まっているのかもしれませんね。
情報の詰まったメールという電波はそれを解析するケータイやらパソコンなど専用の解析機械があって初めて情報の中身を知ることができます。

ならば魂の光に含まれる情報を解析して実行するものが人間ということにならないだろうか。
この曲の歌詞といいタイトルといい秀逸過ぎだろ・・・

いつかは歌詞やタイトルができるまでの経緯とかやってほしいな。

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