『アリア』歌詞解釈~笑うから鏡のように涙がこぼれたよ~

「アリア」は新しくまとめた記事があります。

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バンプオブチキンのアリア
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アリアの意味とは?

“笑うから 鏡のように 涙がこばれたよ”

BUMP OF CHICKENが日産スタジアムで堂々と初披露した『アリア』、ライブの時よく歌詞を聴き取れなかったがこのフレーズだけはすごく耳に残っていてその時からそのフレーズが好きでした。

曲が配信されじっくり聴いてみるとよりいっそう好きになった。それと同時に歌詞の意味を知りたくなった。
しかし歌詞を見ても全く意味がわからず、ずっと気持ちがモヤモヤしてました。もうどうにもこうにも理解できないのでこのモヤモヤを「わからない」と一度決めつけてしまいました。

しかし何日も歌詞と向き合っているうちに少しずつ自分なりの解釈ができあがったのでよかった見てください。

あの日の些細なため息は~というフレーズがとても印象的なこの曲、アリアはイタリア語で
『aria“空気”』、オペラなどでは『独唱曲』という意味もあるそうです。それでは歌詞を見ていきます。

擬人化されたため息とその形

あの日の些細なため息は ざわめきに飲まれ 迷子になったよ
ありふれた類だったから どこに転がったって その景色の日常

ため息が街の雑踏の中に紛れるような風景のイメージが浮かび上がります。

あの日の些細なため息とありますが、そもそもため息って溜息と書いて字のごとく溜めた息を出すわけですから普通の息とは違うわけですよね。溜息ってうまくいかなかったりイライラしたり気苦労や失望緊張がとけた時、または好きな人を思ってでたりと心的作用が働いてるわけです。そんなため息が些細なわけないですよね。

しかし歌詞を見るとこの登場人物はなぜため息をこぼしたのかわかりませんがそれはありふれた類と言っています。だからそのため息は自分にとっては大きな問題かもしれないが日常の景色を変えるほど大したものじゃないだから些細なわけですね。

面白いことにため息がざわめきに飲まれたり迷子になったりと擬人法を用いています。さらに転がったと言っているのでご丁寧に形があることまで教えてくれています。
<insため息は球体か円柱とか転がれる形状をしているのが読み取れます。



僕らは違う生き物

言葉は上手に使ったら気持ちの側まで近づけるけれど
同じものにはなれない 抱えてるうちに迷子になったよ

これはいつも藤原さんがいってることですね、言葉は気持ち、心を表現するツールだけど全く同じものを伝えられるわけじゃない。抱えてると言っているのはさきほどのため息の原因になった気持ちですね。

僕らはお揃いの服を着た別々の呼吸違う生き物

私は最初、僕らとは一般的な私たち、私たちはそれぞれ違う生き物なんだって捉えてましたがそう考えると歌詞の文脈にそぐわなくなり唐突に脈絡もなく出てきてしまう登場人物になってしまう。

それならば僕らとは「ため息を吐いた僕」と「擬人化されているため息を作った気持ち」なのだ。それならお揃いの服を着ている理由もわかりますよね。前の文で同じものになれないと言っているので自分の中にあるものでも自分とは別のもので違う生き物だって気づいたんですね。

見つけたら鏡のように 見つけてくれた事
触ったら応えるように 触ってくれた事
何も言えなかった 何を言えなかった

この部分には主語がありませんが先ほどまでの文脈、解釈を踏まえるならここの主語には“僕”が隠れている。僕は気持ちに対して何も言えなかったし何を言えなかったのもかもわからない。

見つめ返せなかったまっすぐな瞳

曲がって落ちた紙飛行機 見つめ返せなかったまっすぐな瞳
夕焼けとサイレン帰り道 もう痛まないけど 治らない傷

紙飛行機、夕焼け、サイレンという言葉で1番と同じく風景をイメージできる。これによって1番のストーリーの続きだと推測できます。
ため息は球体か円柱のような形状をしているといいましたが“まっすぐな瞳”と言っているのでこれがため息ですね。ため息は球体だったことが読み取れます

ため息はずっとその気持ちを表現してほしくてまっすぐな瞳で見ていたんですね。けど紙飛行機がまっすぐ飛んでいたのに曲がって落ちてしまうように主人公の目線も曲がってしまった。

気持ちを言葉で表現できない苦しみによってできた傷はもう痛まないけど傷は治らない。

そもそも精神的な傷ってどうやったら治るんでしょうね?私はそのことを覚えている限り傷って消えないと思うんです。

恋愛で傷ついて苦しい思いをしてもいつかは痛みは消えます。けどその苦しい思いをした原因を覚えていたら傷ついたことは忘れられないし消えないですよね。

ここでいう傷はため息のことだと思います。サビの歌詞で主人公は見つけたと言っているのでため息を覚えているはずです。だから次の歌詞に続くわけですね。

君と僕だけの世界になったよ

あの日の些細なため息はざわめきに飲まれ迷子になったよ
名前を読んでくれただけで君と僕だけの世界になったよ

1番と同じ歌詞が続く、結局ため息は迷子になってしまう。しかし今回は結局ため息は迷子になってしまうのだから気持ちを言葉を使って表現するのでなく気持ちを名前で括って形を作ったのだ。

そうすれば気持ちは「君」になり「僕」の中に在るものになった。だから君と僕だけの世界なのだろう。
しかし出会ってしまったからには当然別れがくる。

その出会った喜びからの笑いと別れの悲しさからくる涙が表裏一体の状態にあるのだ。



笑うから鏡のように 涙がこぼれたよ

僕らの間にはさよならが 出会った時から育っていた
笑うから鏡のように 涙がこぼれたよ
一度でも心の奥が 繋がった気がしたよ

鏡に映る自分は本当に自分なのだろうか?いや鏡の中の自分は反対に映し出される、それが偽物だろうか?
しかし鏡の中の自分からすればこっち側の自分が反対に映っているからこっちが偽物かもしれない。

結局真実は僕と君との間にしかないのかもしれない。

歌詞にはさよならと出会いの対比が書かれているがこの二つを作った原因はなんだろうか?

それは他のなんでもない「君と僕」だ。出会いとさよならの間には「君と僕」がいるのだ。
そう「出会い」「さよなら」を繋いでいるのは「君と僕」なのだ。例えばコインは裏と表がありこの裏と表を繋いでいるのがコインです。

「出会い」―「君と僕」―「さよなら」

〈対比〉

「笑う」―「鏡」―「涙」
(心)

 

鏡のようにとは1番サビ違って反対の事象を表す例えなのでしょう。鏡のように反対のものを繋いでくれた。

笑うことと涙がこぼれたこと、この相反する事象が重なったから一つになれた気がした。曲の最後は“忘れたくなかった”と言っているので別れがあると知っていても名前をつけて出会いたかったんでしょうね。存在がなければ思い出すことはできませんからね。

アリアの本当の意味とは?

 

この曲はたった一つの日常の景色を変えることもない些細なため息から始まった。そんなため息の物語がこれほど壮大な楽曲になった。まるで私たちの心の中にある些細な気持ちでさえ素晴らしいんだよと伝えようとしているかのように。

アリアというタイトルはため息という名のアリア(空気)だったのだ。そしてまぎれもない独唱である。
私は曲って鏡だと思うんですよね。本とか絵とか映画もそう思ってます。

作者の心を映したものが曲であって、曲を聴いて私たちの心が映し出される。私たちの心が映し出されるっていうのは曲を聴いた人それぞれの解釈やイメージ、感想が出てくるってことはそれはつまり自分を映してることだと思うんですよね。

そんな作品をバンプは楽しんで作ってるわけで、それを聴いて涙がこぼれたなら、そりゃもう心が繋がってるって気がします。
私は解釈を試みながらずっとモヤモヤしたまま歌詞のごとく私もため息をこぼしてました。

「わからない」と一度は決めつけながらも自分なりの答えを出して「わかった」時は私も心の奥が繋がった気がしました。モヤモヤに名前を付けて呼んであげたせいかもしれませんね、「わかった」が育ってくれたのは。そんな気持ちがこうしてブログとして形になって私の外側に出てくれたのであの気持ちともお別れということになるんでしょうね。

私を突き動かしてくれた気持ちなのでそれがなくなってしまうのは寂しいですが、また新しいため息に出会えることを楽しみにしています。

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