これがBUMPのデビュー曲だったんだって最近知りました(笑)ずっとダイヤモンドかと思ってたんですがインディーズ時代のファーストシングルだったんですねえ。
今回は歌詞解釈とかじゃなくて感想ですね。
『LAMP』と『BUMP』
『LAMP』という曲、最近では『ランプ』と日本語で表記されているみたいですが元々は英語表記みたいですね。
私がBUMPを聴くきっかけになった『ゼロ』、自分と魂との対話という形式で歌詞が成り立っていますが対話形式の歌詞はこの最初のシングル、『LAMP』ですでに使われていたんですね。
そういう意味でゼロは原点回帰という意味もあったのかなと今更ながら思います。
私が気になったのはタイトルの英語表記なのですが
まず『LAMP』のスペルが『BUMP』に似ていること。
それから『LAMP』のスペルを一文字変えると『LUMP』になること。
LUMPの意味は『塊』
察しのよい方なら気づいたかもしれませんが塊という字は魂という字に似ているのです。
BUMPの楽曲のタイトルは日本語表記だったり英語表記だったりしますが創作活動に一切手抜きをしないと公言する藤原基央ならLAMPの英語表記にもなんらかの意味を込めていると考えるのが妥当である。
歌詞の内容からも見てわかるようにこの曲は自分と自分の中にいるランプとの対話。
芯に火の灯っていないランプはいってしまえばただの塊(LUMP)でしかない。火が灯ってこそランプ(LAMP)の本来の力が発揮する。
では私たち人間はどうだろう?物質的に見れば私たちはただの肉の塊でしかない。
その肉の塊を人間たらしめているものがあるとすればそれは心、魂だろう。
LAMPというタイトルにはそういった意味も込められているのではないでしょうか?
ランプの芯とマッチの芯
それから歌詞の最後の部分
今にもマッチは芯に触れる
今にもマッチは芯に触れる
同じフレーズの繰り返しで終わっていますが
これは一回目がマッチの芯、二回目がランプの芯であると思われます。
というのもこの曲の主人公は歌詞の冒頭でマッチに火をつけておきながらランプには最後まで火を灯していないんですよね。そのままにしておいたら火が指まできちゃいますからね。
というわけで
マッチには火が点いたままになっていたので芯に触れて消えそうになる。
⇒だから消える前にマッチをランプの芯に灯そうとする
これを人間に当てはめるなら、心に火が灯るけど肉体に火を灯せずに行動に移せないといったところでしょうか。
精神と肉体が重なってはじめて人間として機能する。
火のついていないランプと火のついたマッチを持っていてもランプはランプとして機能しないように
心の火を肉体に灯してこその人間ではないでしょうか?
そもそも『人間』という文字を見ると「門」の中に「日」が灯っているわけですからね。