藤原基央に学ぶ現代の学校教育の問題点や考え方

バンプオブチキンの藤原基央さんは小学校時代はよく怒られていたそうです。

子供の頃から自分の意見をしっかり持っていたようで、学校のやりかたによく違和感を覚えていたそうです。

最近でも現代の学校教育の問題点とかよく話題になりますが、藤くんの小学生の頃の話を交えて学校教育について考えたいと思います。教育について個人的な考えも綴ってますので気分を害してしまったら申し訳ありません💦

スポンサーリンク

藤原基央に学ぶ現代教育の問題点や考え方

学校の教育方法に疑問を持った小学校時代

画像:Twitterより引用

とくに勉強をしなくてもテストで満点を取れるほど秀才だった藤くん、にもかかわらず学校では先生から怒られてばかりでした。

まず初めに、藤くんが小学校で違和感を覚えていた授業の内容を紹介していきます。


この記事はROCKIN’ON JAPAN2006年1月号参照しております

よくわからない理由で怒られた書き方の授業

書き方の授業でお手本通りに文字を書くように指示されたが間違えてしまったので、消しゴムを使ったら怒られてしまいました。

コンクールに出す為の用紙だから消しゴムを使っちゃダメということが後でわかったみたいですが、鉛筆の持ち方も注意され、あげく果てには綺麗な字が書けても、もう一度書くように指導されたみたいです。

書道の時間に半紙を貰えなかった

書道の時間に書くのを間違えてしまって先生に新しい半紙を貰いに行った藤くん、先生からは「次は間違えちゃダメですよ」と言われるも、また間違ってしまったそうです。

藤原「もう一枚紙を下さい。ごめんなさい」

先生「藤原君にはもう紙あげない!」

藤原「じゃあ俺、書かねえ!」

先生に怒られた藤くんは習字の半紙を貰えず、自由帳に絵を書いてたらそれはそれで怒られてゲンコツを食らったそうです。そりゃ怒られるわなあって思いますけど、先生も紙あげないとなる「とどうすりゃええねん!」ってなりますよね。

絵にダメ出しを食らった図工の時間

図工の時間に描いた絵を先生に持っていかれて黒板に貼りだされ

先生「この絵のよくないところを言いなさい」

と生徒たちに藤くんの絵を指摘させたそうです。

その色の塗り方はだめ、教科書に載ってた塗り方と違う、筆を斜めにしてやらないとダメなどクラスメイトからも異議ありの声が多く挙がり、藤くんの絵はよくないという評価を受けてしまいました。

その時の絵の評価の基準が、どれだけ見本を模写できたか?ということであり、そんなもの芸術じゃねえと怒りながらも、クラスメイトを黙らせるためにコンクールでいとも簡単に賞を取ってしまいました。

配色、色の塗り方、アウトラインが生きているか死んでいるかをクリアすれば賞は取れると子供ながらにわかっていたそうです。

その絵はデパートに展示されるほどの賞を取りましたが、当然ながら藤くんは面白くなかったようです。

答えが決まっている道徳の授業

道徳の授業で、

“悪いことをした人がいて、やられた方は優しさでそれを許してあげた。その時に悪いことをした人はどう思ったか?”

というお題に対して、生徒がそれに考えを述べていくのですが、先生はみんなから欲しい答えが出なくてイライラしていたそうです。

結局、先生の欲しかった答えは「自分は何をしていたんだろう」という単純なものでした。

「こんな簡単なことを最初に言えないのはおかしすぎる!」と怒った先生に、藤くんは疑問を抱き、あとで先生の教科書をこっそり見たら、赤字で“「自分は何をしていたんだろう」ということに気づかせる。”と書いたあったそうです。

これに対し藤くんは

“自分がどう思ったのかが大事なわけであって、教科書に書いてある通りの考え方を持ちなさいなんて危ないよ”

と思ったそうです。

確かに、教科書に書いてあることと同じ答えを生徒に持たせるという教育では、ロボットや軍隊と一緒です。みんな個性もなく、周りに合わせるだけの人間になってしまいます。

現代教育の問題点

藤くんの体験談を踏まえてここからは私の考えも交えていきたいと思います。

藤くんが小学校の授業でおかしいと思っていたことの共通点は、“答えが決まっていること”でした。

算数ならともかく、芸術性や個性を大切にするはずの絵や道徳の授業で答えが決まっていることはほんとにおかしな話ですよね(*_*;

ここまで極端な話はあまりないとは思いますけど、日本がよく外国から言われてることは他の人に右へならえなとこなんですよね。

出る杭は打たれるという言葉があるように、周りと違うことをやっている人は言葉通り叩かれてしまいます。

日本でスティーブジョブズのような偉人が生まれないのは、生まれさせない環境があるからだ、なんて言っていた人もいますし、そういった環境になってしまったのも日本の教育制度が大きく関係しています。

バンプの「ディアマン」という曲でそういう所を皮肉っている?歌詞があります。

“常に誰かと一緒 似たような恰好 無駄に声がでかい”

ディアマン/BUMP OF CHICKEN



日本の教育はなぜ成績がオール5主義なのか?

日本の学校教育はなんというか成績オール5主義みたいなところありますよね、通信簿の成績が5が多い人が素晴らしいみたいな風潮が。

成績で5を取る基準は、授業態度とかもあると思いますがテストでの点数が大半ですよね。
オール5じゃなくても、例えば音楽だけ5で他は1でも、得意なことをさらに伸ばせば社会では通用します。

極端に言ってしまえば、成績が低い所を伸ばそうとするくらいなら、4とか5のところをどんどん伸ばした方が社会に出て需要があるわけです。

ドラクエ4とかやった人ならわかると思いますけど、ステータス(攻撃力、守備力、呪文の強さ、すばやさ)のバランスが良い勇者って意外と弱いんですよね、攻撃だったら武道家に適わないし、呪文もいまいちなんですよね。

武道家は成績に例えるなら、攻撃が5で呪文が1ってことですけど、武道家、つまりアリーナって最強ですよね?というわけで一つでも5があれば需要があるってことです。

先生方も学校からの評価ってあるので、生徒にバランスのいい成績を取ってもらうのは、自分の教育の正しさを証明するためなんだと思います。

私は学校教育を否定しているわけではなくて、教科書で学んだことをそっくりそのまま使うんでなくて、知識としての基準にするべきだと思うんですよね。

米津玄師さんもバンプファンであるがゆえに初期の楽曲がバンプに似ていると言われていましたが、今では見事に自分のオリジナリティのある音楽に昇華させることに成功しています。

極端に言ってしまえば、米津さんはバンプと言う教科書を基準に音楽を学び、そこから自分の音楽に発展させたんですね。

大学教員である落合陽一さんは、「幼稚園児に絵を書かせると独創的なものを描くけど、小学生に描かせるとみんな同じようなものを書いてしまう、小学校の教育は軍隊といっしょだ」と発言していました。



藤原基央のような独創的な人間を育てるには?

生徒に同じ考えを持たせようとする教育の中で藤くんが自分の考えを持てていたことは、親の教育が素晴らしかったんじゃないかと思います。

藤原家の具体的な教育方針は特に雑誌には載っていませんでしたが、藤くんが唄を歌うとお母さんが褒めてくれたそうです。それがあったから藤くんはずっと音楽が好きでいられたんだと思います。

子供の頃って知らないことが多いわけですから、大人が教えたことって正しいと思ってしまうんですよね。

赤ちゃんが言語を獲得する過程でも、言語が間違っているかも?なんて疑問を持ったら言葉を覚えられるはずないですからね。

藤くんは姉が二人いるので、小さいころからたくさんの情報に触れてきたのかもしれませんね、だから小学生ながら自分の考えをしっかり持っていたんだと思います。親も子供にいろんな体験をさせてあげるのも大事だと思います。

Gacktさんの名言でこんな言葉があります

みんな子供の頃は変身できる仮面ライダーのベルトを付けてるんだよね、でも親がそれを外しちゃうんだよね

‐Gackt-

人は本当は一人一人が特別な存在になれるけど、育て方でそれができなくなってしまう、と伝えてると私は解釈しました。

そして最後に藤くんの名言。

俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ

‐藤原基央‐

藤くんはむしろ他の人と違うということに誇りを持っていますね、誰になりたいとか、誰かの真似をして生きるっていうことは自殺といっしょだと思うんですよね。

自分らしく生きるって怖いことですけど、自分らしく生きることでしか生まれてきた意味に出会うことはできないんだと思います。

スポンサーリンク
>