【BUMP】飴玉の唄の公式情報と歌詞の意味‐信じることの究極系‐

BUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)の楽曲「飴玉の唄」(あめだまのうた)を公式情報やインタビューを元に解説していきます。この記事では楽曲の基本情報や歌詞の意味の考察、制作背景などについてご紹介します。「飴玉の唄」を聴く際に参考にして下さい。

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BUMP OF CHICKEN「飴玉の唄」の公式情報

飴玉の唄の基本情報

バンプオブチキンの飴玉の唄の画像

タイトル飴玉の唄(アルバム収録曲)
発売日2007年12月19日
作詞作曲藤原基央
完成時期2006年12月末
収録アルバムorbital period(5th Album)
タイアップなし

BUMP OF CHICKENの「飴玉の唄」はアルバム『orbital period』に収録されている楽曲です。作詞者の藤原基央が考える「信じることの究極形」を書いた曲になっています。

飴玉の唄の制作背景

信じることがテーマ

「飴玉の唄」は藤原が「本気で信じること」をテーマに書いた曲で、考え自体は昔から持っていたものでした。

曲が完成したのは「ハンマーソングと痛みの塔」の後で、2006年12月の年越し寸前に完成しました。

藤原曰く「アッパーなバラード」で、デモテープの段階でこんなにコードストロークが気持ちよくできなかった曲は初めてと話していました。結果的にコードではなくアルペジオで弾くことになりました。

なぜ飴玉にしたのか?

藤原はもともと飴が好きで口の中でコロコロ転がすのが楽しいと話しています。四角い飴だとあまりコロコロしないけど、丸い飴玉は「おいしいうえに楽しい」と可愛らしいコメントをしています。

《飴玉あげる》という歌詞について「(飴玉が)好きだからあげたいんじゃないのかな」とコメントしています。

急性胃腸炎に罹ったチャマ

「ベースの直井由文」/出典:excite

チャマこと直井由文は「飴玉の唄」のアレンジ作業中にベースを弾いた時に急性胃腸炎に罹ってしまいした。

嘔吐してしまいかなり容態が悪く、病院で精密検査をすることになりました。アレンジ作業中だったので次の日、無理してスタジオに行きましたが腹痛が酷く作業ができずに早退しました。

夜、自宅にスタッフがデモ音源を届けてくれて、チャマはそれを聴きましたがお腹が痛すぎて全く耳に入ってきませんでした。



BUMP OF CHICKEN「飴玉の唄」の歌詞の意味

飴玉の唄の歌詞の内容

信じることとは?

「信じる」という意味は、逆説的に考えれば「裏切られると思っていないこと」です。

《もし裏切られても それがわからないから》と言ってるように、たとえ騙されていてもそれに気付かない、ある意味、愚かな行為と言えるかもしれません。

飴玉をあげる

この曲において《飴玉をあげる》という行為は、信用の証であることを表しています。

藤原は信じるということにはとても距離や時間がかかることだと話しています。

《そういう1ミリ》《そういう1秒》と歌詞にありますが、完全に信じるにはそれほど遠い時間や距離があるということです。

初めて会った人を簡単に信用することはできません。《飴玉をあげる》という言葉は、長い時間と距離をかけて築いてきた信用の証なのです。

信用できるものの条件

信じられるものの最低条件として、無限であってはいけないってのがあります。限界があるもの。終わりがあるもの。物語もそうだし

藤原基央
出典:ROCK‘IN ON JAPAN 2008.02

藤原の信じられるものの条件は「限界があるもの」「終わりがあるもの」だそうです。

また信じるということは全ての可能性の始まりだと話しています。

飴玉の唄で伝えたいこと

最後に触れて全てに勝つ

山崎「“飴玉の唄”で信じるってことについて歌ってるんだけど、《限りある君の その最期に触れて 全て勝つよ》っていう、この1行がなかったら、信じるってことについて歌い切ったことにはならないんだ?」

藤原「ならないです。絶対ならないです」

出典:ROCK‘IN ON JAPAN 2008.02

インタビューで藤原がこのようにコメントしているように、信じた相手の最期に触れなければ信じるという行為は完結しないようです。
これは相手の最期を確認しなければ、“終わりがない”ということになり、藤原の信じる条件を満たせなくなるからです。
信じたものの最期があるってことを受け入れるのが怖いんです。誰でもそうだと思うんですけど。でも最期があるって認めることが必要で。そうじゃないと、最期だけ見ないっつったら、限界があるっていうその条件を満たせなくなってしまう
藤原基央
ROCK‘IN ON JAPAN 2008.02

《限りある君の その最期に触れて 全て勝つよ》この歌詞は信じた相手を最期まで信じ抜いたという意味だと思います。これが藤原の言う「信じることの究極系」です。



物語の根底にあるテーマ

魂が肉体に宿る物語

見えない 死なない 僕らの世界で
その手に触れて 熱に触れて 僕も笑うよ 君と笑うよ

「飴玉の唄」/BUMP OF CHICKEN

「飴玉の唄」の根底にあるテーマは、「魂が肉体に宿り、肉体が滅ぶまで」であると思われます。そう考えると「飴玉」は「魂」を表しています。

「僕」=「魂」である根拠

見えない、死なない、言葉を持っていない、宇宙からやってきた、何億年も昔から知っている、という歌詞から。

「君」=「人間」である根拠

温度があること、咳をすること、終わりがあること、などから

神様よりも確かなもの

[神様について書かれている部分]
①見えない神様
②死なない神様
③勝てない神様

①~③が神様について説明された部分ですが、①と②は不死であり無限であるということなので、藤原が言う「信じる為の最低条件」を満たしていないことになります。

①と②から神様は信じていないことがわかります。

つまり神様を信じることはできないけど、終わりのあるものを最期まで信じぬくことができた。これは温度を持った肉体こそが、神様よりも確かなものということを表していると思います。


BUMP OF CHICKEN「飴玉の唄」のライブ情報

「飴玉の唄」のライブ演奏記録

初披露日時初披露ライブ演奏頻度
2008年1月10日ホームシック衛星@Zepp Tokyo (東京都)

ライブ映像が収録されている作品

現在、「飴玉の唄」が収録されているライブ映像作品はありません。

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