「彼女と星の椅子」歌詞の意味-チャマが初めて作曲した作品-

BUMP OF CHICKENの『彼女と星の椅子』は3枚目のシングル「ハルジオン」のカップリング曲です。

この曲の作詞作曲はバンプでは珍しくチャマことベースの直井由文さんによる作品です。直井さんが作曲した作品は「彼女と星の椅子」と「ベストピクチャー」の2曲しかありません。

それではこの楽曲の歌詞の意味や作曲経緯について解説したいと思います。

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楽曲解説

作曲の経緯

作曲が直井由文さんだと最初に書きましたが正確には藤原基央との共作になります。

作曲の経緯としてはチャマが17歳の時に初めて自身のオリジナル楽曲として制作し藤原さんに「ちょっと聴いてくんね?」と言い、聴かせると、ただベースの音だけがずっと鳴っているものでした。

そこに藤原さんがコードなどをつけて、後に「彼女と星の椅子」になる楽曲の第一段階が完成しました。しかし今のような日本語歌詞はなく当時は英語で歌われていました。

“これに歌つけてっていう風に言われて。おっしゃあ、歌うわっつって歌って。まあ当時は英語でやってたんで。英語っつってもめちゃくちゃ英語ですけど。”

藤原基央

出典:ROCKIN’ ON JAPAN 2008.06 

そしてこの英語の歌詞で歌っていた曲は自然と演奏しなくなってしまい、惜しいと思っていたチャマはアレンジだけ変えて「久しぶりにもう一回やりたいんだけど」と藤原さんの所へ持っていくと「俺もやりたいって思ってたよ」という返事をもらい、みんなでもう一度やり始めることになりました。

 “ベースラインとかも、その当時のイケイケなものではない、別のイケイケのものに変わっていて。

藤原基央
出典:MUSICA 2008.07 

チャマが「もう一度あの曲やりたい」と言った時に藤原さんは自分がつけたメロディを覚えていてくれたのがすごく嬉しくて泣けたと言っています。ただしやる代わりに「だったらお前詩書けよ」と藤原さんはチャマに条件をつけました。

しかし慣れない作詞に手こずったチャマさんは、藤原さんに手伝ってもらいながら歌詞を完成させました。なんだか二人で作詞している様子を思い浮かべるとニヤニヤしちゃいますね!

チャマの誕生日サプライズで演奏

2004年10月8日に行われたユグドラシルのツアー「MY PEGASUS」の仙台公演のアンコールで、翌日誕生日を迎えるチャマさんへのサプライズとして「彼女と星の椅子」が演奏されました。

画像:@bump_of_akiより引用

チャマさんがセンターでメインボーカルとして歌っているレアな写真です。サプライズでの演奏の為、直井本人は何も知らされておらず、いきなり曲の演奏が始まると藤原さんがチャマの手を引っ張りセンターへ!

突然の出来事の為にチャマさんは歌詞を間違えるというハプニングまで起きました。むしろ歌詞を間違える程度で済んだことが凄いですね。

ポンツカでチャマさんは「今度お前らにもいつかやるからな!一回ずつ仕掛けるからね!」と笑いながら言っていました。

そして2017年のツアーPATHFINDERではチャマさんの誕生日当日の10月9日エコパアリーナ公演のアンコールでもサプライズとしてチャマによる弾き語りで「彼女と星の椅子」が演奏されました。今回は本人もしっかり練習をしてきたようで、どちらかというとお客さんに対するサプライズだったと言えるかもしれませんね。

『PATHFINDER』静岡エコパアリーナ2日目ライブレポート「チャマ38歳バースデー!!」

 

RADWIMPSの「謎謎」と「彼女と星の椅子」がそっくりな件

これは別な記事でも書きましたが、ロックバンドRADWIMPS(ラッドウィンプス)のアルバム『アルトコロニーの定理』に収録されている「謎謎」という楽曲が、バンプの「彼女と星の椅子」にあまりにもそっくりでパクリ疑惑が浮上しました。

RADWIMPSの楽曲がBUMPに似てる?なぜそっくり問題が起きたのか?

サビの部分を聴いて頂ければわかると思いますが、メロディがほぼいっしょです。これはパクリと言われても仕方ありません。

しかしRADWIMPSはメンバー全員がBUMP OF CHICKENのファンであり、聞いた話によるとバンプの許可を得て作っているそうです。ただラッドの楽曲でバンプに似ている曲はほんの数曲であり、それだけでRADWIMPS=BUMPのパクリバンドというレッテルを貼らないでほしいです。


歌詞解釈と意味

今回の歌詞解釈は主に雑誌「B-PASS 2001 ALL RIGHT!!」のインタビューを元に解説していきます。個人の解釈というより雑誌にほとんどの歌詞の意味が載っていたので正確な内容をお伝えできると思います。

チャマによる作詞活動

先に述べたように「彼女と星の椅子」は藤原基央さんからチャマさんに歌詞を書くように条件を付けられます。

とりあえず曲を聞いてもらって、藤くんも覚えていて。ただ条件としてなんでもいいから、自分がこうしたいんだって思ってる歌詞をイメージでもいいから書いてみてって言われて。

直井由文
出典:MUSICA 2008.07

こんな感じで作詞がスタートし藤原さんと話し合いながら完成させます。歌詞は結局藤原さんがほとんど書きましたが歌詞のテーマはチャマの伝えたいメッセージによって決められました。

この歌詞は“当時の直井由文の姿”を書いた内容になっています。若さもあってか当時ひねくれていたチャマさんは藤原さんから「自分のことを書けばいいんじゃないか?」とアドバイスされますが「自分のことつっても俺、書きたいことあんまねえしな」といかにもひねくれた態度で示しました。

私も若い時に「別にオレまだ本気出してねえし」みたいなセリフで強がって自分の本音を隠していた頃を思い出します。心の中ではそうは思ってないんですよね、ただ本心を語ったら自分の弱い部分を見られてしまうのが怖かったんです。

藤原さんはひねくれるチャマさんに「それでも書け」と言って、チャマならもっと歌詞の到達点を上に持ってるはずだと思い、あえてダメ出ししてチャマの持ってる能力を引き出そうとしました。

そして完成した歌詞を見て藤原さんは「やっぱりこんないいこと思ってんじゃねぇかよ!」と称賛の声を贈りました。

チャマの葛藤

“テレビの中 唄うスターを見て
煙とともに皮肉を吐いてる

本当はスターになりたい 君が
何も出来ず 椅子に座ってる”

彼女と星の椅子

先ほど説明したようにこの歌詞は“当時の直井由文”を書いた曲で、登場する「彼女」はチャマを表しています

本当はスターに憧れているのに、自分がスターになれないことからの妬みから、愚痴を言ったり、バカにしたり、皮肉を吐いたり・・・誰でも似たような経験があると思います。

成功している人、人気者、頑張っている人に対して皮肉を吐くのってけっきょくは「羨ましかった」んですよね。「あの人が成功できたのはどうせコネがあったからだろ」「あいつが人気があるのはどうせ運がよかっただけだろ」「あんなやつが頑張ったところでどうせ上手くいくわけない」。

なんでもかんでも「どうせ」と難癖つけて自分が行動しなくもいい理由を見つけて安心しようとする人間の心理を表しています。藤原さんばかりが天才と呼ばれていて、それを近くで見ていたチャマさんはきっと心の中で「俺だって歌詞くらい書ける!」と思っていたに違いありません。

しかし実際に書いてみるとなかなか書けず、挙句の果てに「自分のことつっても俺、書きたいことあんまねえしな」とひねくれて本心を隠していたのだと思います。心の中では「やっぱり俺には才能がないんだ」と自分を過小評価していたと思われます。

“何かこいつはね、その時期すごく自分の存在意義みたいのを考えてて。ベーシストとしての自分と、曲を作る自分っていうのが両方いて、その間で葛藤してて。自分を過小評価する感じになってた時期があったのね。”

藤原基央
出典:B-PASS 2001 ALL RIGHT!!

とんがった雨とは?

そんな悩めるチャマさんに宛てた藤原さんから励ましのメッセージが歌詞の中に入っていました。

“怯えながら歌う その唄は

一番君を解っていて 何度も君を守ってきた

どんなとんがった雨からも”

彼女と星の椅子

《とんがった雨》は藤原さんが考えた言葉で、チャマさんの視点を通さないと出てこない言葉だと話しています。いつもそばにいるからこそチャマさんがどんな風に物事を見ているかわかっているんですね、強い絆を感じます。

そして最初はテレビの前で座って皮肉を言っていた彼女が、最後は椅子に立って歌っているという心境の変化があるわけですが、場所は同じテレビの前と状況は変わっていません。歌詞の物語がこういった結末になった理由には“あなたの見方を変えれば世界は変わって見える”というメッセージが込められています。

“要は自分次第なんですよね。世の中、君の目に映るように映る。君が感じるように感じる。君が変えれば変えるほど変わっていく。”

藤原基央
出典:B-PASS 2001 ALL RIGHT!!

この「藤原基央名言集」にも残る藤くんのコメントは「彼女と星の椅子」で発言したものだったんですね。最後の彼女が椅子の上で歌っている姿を見て、美しいと思うか、気が狂ってると思うかは曲を聴いた人が自由に解釈していいようにあえて「それはとても美しい光景でした」などと具体的な説明は書かなかったと言っています。

世界はあなたの感じ方で良くも悪くもなる

この世界は善と悪、美しさと醜さ、光と闇のように対称的な二元性からできていて、絶対的な善なんてものは存在しません。藤くんが言ったように、その対照的な部分のどちらを見るか?で世界は良くも悪くもなります。

人は他人の悪い部分ばかり見ていると、どんどん他人の粗探しをするようになり良い部分があっても気づけなくなり、結果的に不幸になるメンタリストのDaigoさんはコメントしています。

逆に良い部分を探すように癖をつければ、人だけでなく世界も素晴らしいと思えるようになります。

自分の人生を良くするのも悪くするのも自分次第だと「彼女と星の椅子」で伝えようとしているのだと感じました。

あなたはどちらを選びますか?

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