embrace‐BUMP OF CHICKENの曲‐

BUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)の楽曲「embrace」(エンブレイス)を公式情報やインタビューを元に解説していきます。この記事では楽曲の解説や歌詞の意味の考察、制作背景などについてご紹介します。「embrace」を聴く際に参考にして下さい。

embrace(エンブレイス)はバンプオブチキン4枚目のアルバム『ユグドラシル』に収録されている楽曲です。
愛情をもって抱擁する、抱きしめるという意味で、この曲は温もりがテーマになっています。

珍しく別れや死などネガティブな言葉がないので結婚式で使う人も多そうですね!

「温もり以外は信用していない」、「温度は一番嘘を付かない情報」と語る藤原さん、温もり以外は対価を支払わなければ、信用できないという考えを持っています。

“温もり”に対してどういった価値観を藤原基央は持っているのか?

この曲で伝えようとしていることは何か?を考察していこうと思います。

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embraceの楽曲情報

”ほんとに温もり以外は信用してないところがあります、僕は。それ以外のものは、何か落とし前をつけないと信用出来ない部分がありますね、やっぱり。だから電車に乗るっていう作業。俺がここにいていい理由。それは俺がちゃんとお金を払って切符を買ったから、っていうことで信用出来ます。温もり以外のものは、そうやって信用するしかないです”藤原基央

出典:ROCKIN`ON JAPAN2004 09

雑誌のインタビューで藤くんはこのように発言していました。

Kとの繋がりは?

よく言われている解釈が「embrace」と「K」の世界が一緒なのではないかということ。

歌詞中の《首輪の無い姿》という描写から野良猫を連想させ、《腕の中へおいで》は「K」で黒猫が腕の中でもがいている様子を思い出します。

このことから「embrace」は絵描き目線で黒猫を見た楽曲ではないか?という解釈が広まっていますが、過去のインタビューにおいて藤原さんは「K」についての言及はありません。

それに《明かりの無い部屋》という描写は「K」にはありませんので繋がりはないと思われます。

「リボン」のインタビューで話していたように、同じ人間が作った作品だから似たような言い回しが出てしまっただけなのでしょう。

触れるという行為は存在を認める行為

“抱えた孤独の その輪郭を撫でてやるよ”

私はこの表現を存在の証明だと思っています。理由は2つあります。

1つ目は、触れるという行為は、その触れる対象の存在を肯定していることになります。
人は基本的に自分が嫌なものには触りたくありません、嫌いな人に積極的に触れようとする人はほとんどいないでしょう。

2つ目は、物質は五感で認識するまで、それは存在したことにはならないからです。
量子力学的にも、物質は認識されて初めて存在することが認められています。

おまけに《明かりの無い部屋》という真っ暗な状態なので、認識するには『視覚』以外の情報、『嗅覚』、『聴覚』、『味覚』、『触覚』が必要なのです。

二人は生きているのか、死んでいるのか?

【シュレディンガーの猫】という有名な思考実験があります。
残酷な実験ですが簡単に説明すると、
「毒ガスが1時間に2分の1の確率で発生する箱の中に猫を入れて、蓋をして1時間後箱の中の猫は生きているか?死んでいるか?」という実験です。(箱の中から音はしない設定)


画像:ウィキペディア

蓋を開ける前、箱の中の猫が生きている確率は2分の1です。状態としては「生きているし死んでもいる」という矛盾が起きてしまいます。
これが「embrace」で命の無い世界と生きてるものという矛盾した表現が出ている理由です。

確認する方法は箱を開けて実際に確認するしかないのです。

量子力学において、物質は認識するまで形が決まっておらず、認識して初めて形が決まるということがわかっています。
つまり認識するまで存在していないことと同じなのです。

「embrace」における《明かりの無い部屋》では中にいる本人からすれば生きていることがわかりますが、部屋の外にいる人からしたら中にいる人は生きているのか死んでいるのかわかりません。

つまりこれも部屋の中にいる人は外の人からすれば存在してないことといっしょなのです。
すごく残酷ですよね・・・生きているのに存在していないって・・・

だから一番の歌詞では「明かりの無い部屋」だったのに対して二番の歌詞では「時間の無い部屋」、そして最後は「命の無い部屋」と描写が変わっていますが、これら全部同じことなのです。

《MEMO》

明かりの無い部屋=誰にも認識されない

時間の無い部屋=外の世界の時間の流れから隔離された場所

命の無い部屋=誰にも認識されないので存在していない

歌詞中の至る所に五感に関連する言葉がちりばめられています。人は五感なしには情報を得ることができません。

BUMPはラジオ『SCHOOL OF LOCK』で科学の講師として招かれていますが、藤原基央のこういった考え方が科学の講師と呼ばれる所以なのでしょう。



生きていることを確かめる方法

認識されるまで存在していることにはならないという説明をしてきましたが、「embrace」の場合はどうやったら存在していることになるのでしょう?

先ほどの「シュレディンガーの猫」の実験と違って、部屋の中には二人います。
なのでどちらかがもう一人を五感で認識してあげれば、その人は存在したことになります。

“抱えた孤独のその輪郭を撫でてやるよ”

この表現が秀逸だなぁと思ったのですが、まず「孤独」という言葉から一人ぼっちで誰にも認識されていないことがわかります。

いってみれば透明人間みたいなものですね、おまけに真っ暗な部屋なのでその人の大きさや幅もわからないわけです。だから頭とか肌じゃなくて「輪郭を撫でる」って表現なんですね。

そして輪郭に触ってその人の形がわかるわけですね、「カルマ」の歌詞を思い出します。
《首輪の無い姿》とも言っているのも誰にも飼われていない状態、言い換えると誰にも雇われていない状態、つまり社会から離れて誰にも依存していない状態を表しています。

なぜ僕には君が見えたのか?

部屋が真っ暗にも関わらず、なぜ僕には君が見えたのでしょう?

最初から《僕に見つかった》と言ってますし、おまけに首輪がないこと、震えてることさえ見えています。

はい、そうです。いつも通り「僕」と「君」は同一人物なんですね、本当にありがとうございました。

歌詞を見てわかる通り、腕の中へ来てほしいのも、君の気持ちがわかるのも同じ人物だからわかるんですよね。
相手がそう願ってるはずだ!なんて勝手に思ってたらストーカーと変わりないですからね(笑)
《鼓動の音》が二つなのも、自分と心の二人で分け合ってるからなんですよね、だから以上も以下もない。
つまりそれ以上人数は増えもしないし、減りもしないのはその部屋が心の中の空間だからです。

『メーデー』で心の中を「水溜まり」と表現してるのに似てます。

それでは「腕の中へおいで」の意味がわからないじゃないか!と思われるかもしれませんが、一人でも自分を抱きしめることができます。

そうすれば暗闇の中で自分の存在を確認できますし、温もりに触れることができます。

何も見えない空間で生きていることを確認する方法って触れて温もりを感じる以外ありません。

視力は当然役に立たないし、匂いも音も自分に体があることの証明にはならないからです。

藤原基央が伝えたいことは?

私が解釈をして感じたことは、何もない状態で自分の存在を確認する方法は温度だけということです。

今見えている世界はもしかしたらスクリーンに映し出された映像のように偽物であるかもしれませんが、それを証明することはできません。

でも温度という情報だけは、間違いなく自分が生きていることを証明するものです。

他者に触れる、認識されることで自分がここに存在していることに気付くことができる。

藤原さんの歌詞制作における根源的な考え方は「自分」と「心」なんでしょうけど、この曲は心の中ではなく、わざわざ《明かりの無い部屋》に例えているのですから、触れる対象は他者に向けるべきなんでしょう。

そうすることで相手の存在も証明したことになります。

この世界は一人では成り立たないんですよね、どこまで行っても二つで一つなんです。

ちょっと説明不足な所もあったかもしれません、もし気になる所があればコメント欄から質問頂けると助かります(^^)

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