「同じドアをくぐれたら」歌詞の意味‐決断を迫る心の天秤‐

「同じドアをくぐれたら」はバンプオブチキンの4枚目のアルバム『ユグドラシル』に収録された楽曲です。

「天秤をテーマに曲を書きたかった」と作詞者である藤原基央さんは話しています。
この曲は上京するというイメージも湧きますし、有名なクラシック音楽のメロディのようなものも聴こえます。

この記事ではなぜ天秤をテーマにしたのか?タイトルの意味など考察していきます。

※この記事は新しくまとめたものがあります

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同じドアをくぐれたらの画像
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天秤の意味と歴史的背景

天秤は昔から重さを量る目的として使われてきた歴史があります。学校で習った人が多いと思いますが、片方の皿に重さのわかっているものを乗せて、もう一方に重さのわからないものを乗せて天秤が釣り合うようにすることで重さを知る目的で使わていました。

また古代エジプトでは心臓を天秤にかけ、その人の魂の罪の重さを測り、天国に行けるか地獄に行くかを審判するために使われていました。そのため天秤は裁判を象徴するものという意味がありました。

裁判所にある「正義の女神テミスの像」はその象徴として置かれています。

画像:Gooブログ

藤原さんが天秤をテーマに書きたかった理由として、こう述べています。

“大事なものは普通手に持って掲げるのに、天秤は大事なものが下に下がるということを書きたかった”

‐藤原基央‐
引用:excite music

天秤で量ったものはなに?

「同じドアをくぐれたら」では次のステージに進むためのカギを受け取る様子を手のひらを天秤の皿に例えて描かれていますが、天秤に乗せたものはなんなのでしょう?

まず歌詞を見て、天秤が掲げた方の皿に乗っているものがいらないもの、つまり軽い方であることがわかります。

もう片方の皿に乗っているものはそれより重いもの、つまり次のステージに進みたいという想いなんですね。「想い」と「重い」という意味を掛けているんですね、いかにも藤くんらしい詩です。

ではその「想い」の価値と釣り合うものは何かというと「ドアの鍵」ですね。

この曲は天秤が揺れている様子を悩んで心が揺れている様子に例えてもいます。

“想い”≒“ドアの鍵”で重さが釣り合った時に揺れは収まり、それはある種の決断とも言えるでしょう。

引き換えにしたもの

これはそっくりそのまま歌詞に書いてあります。

1.涙
2.記憶

ドアの鍵を受け取るのに対価としてこの2つを引き換えにしました、

この曲を聴いていると人生ってすごいシンプルなんだと思わされました。
ただ重要でない方を捨てて、魂の望む道へ進むだけ。

言葉では簡単に言えてしまいますが、それはある意味残酷でとても勇気が伴う行為です。
自分の道を行くことは《こんなに簡単な選択》であり《そんなに勇敢な選択》なんですね。

誰と手を繋いでいたのか?

私は最初にこの曲を聴いた時に上京や旅立ちをイメージしました。
居心地を良くするために買った家具や家電、ゲーム、それから友達や恋人。

どれも大切なものだけど、夢を叶える為に旅立つ決意をしたとなれば、当然捨てなきゃいけないものが出てきます。もしかしたらこの曲の制作の背景には藤くんの引っ越しや東京に上京したころの気持ちが反映されているのかもしれませんね。

「誰と手を繋いでいたのか?」ということですが、上京ということを引き合いに出せば、大切な人達ってことになりますが、藤くんの根源的な考え方を当てはめるなら過去の自分ということになるでしょう。

“同じドアをくぐれたらーと願ってたよ”

「ロストマン」の歌詞は“失敗した今の自分”と“失敗しなかった場合の自分”と藤原さんが発言していることからわかるように世界が分岐しています。

「同じドアをくぐれたら」も同じようにルート分岐した世界観だと考えられます。こういった考え方は【量子力学】でも存在すると考えられています。

過去の自分と手を握る表現は「天体観測」でも描かれていますね。

「ゼロ」のMVにも手錠で繋がれた男女が描かれていましたが、あれは肉体と魂を表現していて死ぬまで決して離れられない存在であるのに対して「同じドアをくぐれたら」の場合は手錠では繋がれていませんから、放そうとと思えばいつでもそうできる状況にあります。

これってブッダの教えの心は心地よいと感じるものに執着する、手放せば幸せになれるという考え方に似ているんですよね。

そういう意味では手を繋いでいた相手は心とも言えるかもしれません。



主よ人の望みの喜びよ

天秤が掲げた方は重要じゃないとわかっているが居心地よくて失い難いもの、だから心が執着してしまう。
しかし重要なものは天秤が下がった重い方の「想い」であることもわかっている。

「想い」の根底にあるものって「魂」なんですよね、古代エジプトで心臓を天秤に乗せて魂の重さを量っていたように、この曲においても天秤で下になったほうは結局のところ魂なんです

おまけに一番サビが終わった後の間奏の部分で流れるメロディはバッハ作曲の主よ人の望みの喜びよと非常に似ていて元々の意味は“イエスよ、わが魂の喜び ”です。

「Merry Christmas」でも似たメロディが使われています、理由はおそらくクリスマスはイエスキリストの復活祭なので。
※ちなみにクラシック音楽に著作権はありません

聴いたことない方は↑聴いてみて下さい。非常に似ている、というかほぼ一緒であることがわかります。

そもそも「ユグドラシル」というタイトルからしてスピリチュアルなイメージがあるので、天秤に乗っていたものは想いであり、心臓であり、魂であると考えられます。

藤くんが伝えようとしていること

“好きなことを仕事にしていると 時には勇気を出さなきゃいけない時があって”

‐藤原基央‐

東京ドームのライブでのMCです、肩を抱き合って泣いたこともあったとも話していましたので、今まで何回もそういう場面はあったのでしょう。

きっとその度に大切なものを捨てなければいけないという決断をしてきたことでしょうし、全ては曲の望むようにするため。

ホリエモンこと堀江貴文氏も「全てを捨てられない人は成功しない」と言っています。

旅で重要なことは荷物を少なく最低限にしなきゃいけません、リュックに入る量は決まっているのです。
暑い国から寒い国に行く時に夏服は荷物になるだけです、もったいないからなんて言ってると、これから手に入れる宝を入れるスペースがなくなってしまいます。

人は2択を迫られた時にたとえ残酷でもどちらかを捨てなきゃいけなくて、心の中の天秤はその時の魂の重さを量ってくれる道具なんだと伝えているんだと思います。

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