ガラスのブルースの制作背景と歌詞の意味‐バンドの原点はこうして誕生した‐

BUMP OF CHICKEN(バンプオブチキン)の楽曲「ガラスのブルース」を公式情報やインタビューを元に解説していきます。この記事では楽曲の解説や歌詞の意味、制作背景などについてご紹介します。「ガラスのブルース」を聴く際に参考にして下さい。

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ガラスのブルースの楽曲情報

基本情報

ガラスのブルースの画像

タイトルガラスのブルース
発売日1999年3月18日
作詞作曲藤原基央
完成時期1996年頃
収録作品FLAME VEIN(1st Album)
タイアップなし

BUMP OF CHICKENの「ガラスのブルース」はバンプのアルバム『FLAME VEIN』に収録されている楽曲です。

この曲は藤原基央が初めて日本語で書いた曲で、当時16歳だった藤原が、生きることについて力強くストレートに歌ったこの曲は、今でも胸に突き刺さり人生に立ち向かう勇気を与えてくれます。

制作背景

藤原が高校を中退後に書いた曲

「ガラスのブルース」は、藤原基央が高校を中退した後に少しずつ時間を掛けて歌詞を書いていきました。はっきりとした完成時期は明らかになっていませんが、藤原は「16歳の頃に書いた」と発言しているので、1995年~1996年の間に作曲されたものだと考えられます。

制作のきっかけはコンテストで指摘された一言

中学3年の文化祭で初めてのライブを行ったバンプオブチキンは、その後、オリジナル曲を制作するようになります。当時の曲は全英語歌詞で書かれたものでしたが、それは文法などめちゃくちゃなデタラメ英語で書かれたものでした。

そして、高校1年の冬に完成した「DANNY」で、結成記念日となる1996年2月11日に音楽の大会に出場し、地区大会を優勝し関東大会まで勝ち進みました。

文化祭で披露した曲は以下の3曲です(全てコピー曲)
・レディース・ルーム-「ゲットロスト」
・ビートルズによるカバー曲-「ツイスト・アンド・シャウト」
・ベン・E・キング-「スタンドバイミー」
業界人の一言がきっかけで初めて日本語で歌詞を書く

関東大会では負けてしまいましたが、そこで業界人から「なんで英語なの?」と質問されました。それに対し藤原は「世界に通用したいから」と心にもないことを言い、業界人から「日本語じゃなきゃ嘘だ」と厳しい指摘を受けてしまいました。

それに反論できなかった藤原は悔しい思いをしながらも、正論であることを認め、日本語の曲を書く決断をしました。

こうして「ガラスのブルース」は誕生しました。

メンバー全員が大絶賛した

出典:pinterest

「ガラスのブルース」は、これまでの英語の曲と違い、完成した時に不思議な「できた感」があったそうです。しかし自分では名曲だと思っていても、周りの人が聴いたらとても幼稚な曲だと思われそうで怖かったそうです。

そこでその時、唯一電話の繋がった増川を家に呼び「ガラスのブルース」を披露しました。増川は鳥肌が立つほど感動し、それを見た藤原は音楽でやっていく自信を持つことができました。

後に他のメンバーにも聴かせ大絶賛し、全員が藤原の才能を認めました。

4人と音楽を繋いだガラスのブルース

当時、全員が音楽の道でやっていける自信を持っていませんでした。しかし「ガラスのブルース」が完成したことで、「やっていけるかもしれない」という安心感が生まれました。

4人はガラスのブルースによって、生きることと音楽の意味が繋がり、音楽の道へ導かれて行ったのです。

一番最初に書いた曲が“ガラスのブルース”で、ほんとに僕はラッキーだったと思います

藤原基央
出典:bridge 2013 SPRING



高校を辞めた時の藤原の心境

音楽で食っていくつもりはなかった

藤原は高校を中退した当時、既にバンドはやっていましたが、音楽で食べていくといったプランは持ち合わせていませんでした。

藤原は言わゆる、“これをやってれば人生セーフ”という安全な生き方が出来なかったのです。周りの人達が疑問を持たずに同じような選択をしていることに、違和感を覚えたそうです。

そんな計画性ゼロで高校を中退し、藤原は生きるということに対する不安に駆られるようになります。

絶望のどん底にいた藤原

藤原は高校を辞めていた当時の自分を「腐っていた」と言っています。メンバーも心配して学校帰りに藤原の様子に見に行っていました。

藤原はその時「なんで生きてるんだろう?」、「俺って何なんだろう?」といった不安を抱え、ごはんを食べている時に無意識に涙がボロボロ流れてくるという精神的に安定しない日々を送っていました。

食ってる最中にぼろぼろ泣けたりして(笑)それもなんだかよくわかんないみたいな感じで

藤原基央
出典:CUT 2012

この時の藤原を救うのに一役買ったのは、手塚治虫の「火の鳥」(鳳凰編)でした。この本は「自身が愛するマンガ」に選んでおり、高校を辞めたタイミングで読んでいなかったら今の自分はなかったと語るほど彼に与えた影響は大きいようです。

甘える余裕を与えなかった父親

藤原基央が高校を辞めることに父親は反対しなかったそうで、不登校ぎみになった藤原に

「辞めるならちゃんと辞めろ。その代わりお前を一人前と見なすから、家にいるなら家賃を納めろ」

と厳しい言葉を投げ掛けます。ここで藤原を甘やかしていたら、おそらくダメ人間になっていたと思います。甘える余裕を与えず、強制的に現実と向き合わせたのです。

学校を辞めることに反対をしなかったのも、藤原の主体性を重んじたからで、親としても愛と勇気のある決断だったと言えます。

藤原は音楽をやっていなかったらという質問に対し「2ちゃんねるで誰かの悪口を書いていたと思います(笑)」と答えています。やはり父親の厳しい教育がなかったら、彼はダメに人間になっていたのかもしれません。



ガラスのブルースの歌詞の意味

ガラスの眼をした猫のモデル

歌詞に登場する《ガラスの眼をした猫》にはモデルとなった猫がいました。

そのモデルとなった猫は実際に藤原基央が飼っていた猫で、小学5年の時に友達が拾ってきた猫を無理矢理押し付けられて、藤原家で飼っていました。

その猫は中学2年の母の日の朝に、車に轢かれて死んでしまいました。目が開いた状態だったので、死んでいるようには到底思えず、その時に見た猫の目がガラスのようだったと話しています。

「え、嘘でしょ?だって目開いてるし」みたいな感じでずっと見てたんですね。ガラスのような感じでね、目が、はい……

藤原基央
出典:CUT 2012.02

この母の日のエピソードは「R.I.P.」の歌詞にも登場します。

R.I.P.の制作背景と歌詞の意味へ

生きる理由

【制作背景】で説明したように、藤原は「何で自分は生きているのか?」「オレって何なんだろう?」といった、生きるということに意味や理由を求めていました

その問いの答えとなったのが「ガラスのブルース」であると思います。

ガラスの眼をした猫は歌うよ 生きてる証拠を りんりんと

「ガラスのブルース」/BUMP OF CHICKEN

自分の生きてる証拠として唄を歌う、藤原にとって、何もせずただ命が続くことが生きていると思えなかったのでしょう。

自分がここに居てもいい理由が欲しい、生きている証拠が欲しい、悩んだ結果に辿り着いたのが、j自分の気持ちを誰かに伝えるということだったのでしょう。「火の鳥」で、我王が感情や魂を全て彫刻に打ち込んだこととも重なる部分です。

何かを伝えるという意思を持って、自分は存在している

そのことが“生きる意味“という問いの答えになったのだと思います。

自分の思っていることを歌にしたっていう一番最初が“ガラスのブルース”で。その時の感覚が、一番大事なんだと思います

藤原基央
出典:MUSICA 2017.01



ガラスのブルースで伝えたいこと

自分が死んでも曲を聴いてくれた人の心に自分の想いが刻まれている。人間の本質が心や魂というなら、誰かの心の中に自分の魂を込めた曲が残っている。それは生きている証にならないでしょうか?

人は気持ちを伝えたり、受け取ったりを繰り返して生きています。誰かに自分の想いを伝えることで人は本当の意味で生きていられる。だから藤原基央は心や他者との繋がりを歌うのだと思います。

「ガラスのブルース」は、命の本質や輪廻を歌った作品だと言えます。

藤原基央の厳しくも力強く生きてきた生の体験が曲に命を吹き込み、私たちに勇気を与えてくれているんだと思います。



ガラスのブルースのライブ情報

ライブでの演奏

初披露日時1996年夏頃?
初披露ライブBeat Brust in Japan※詳細不明
演奏頻度

ライブ映像が収録されている作品

収録作品備考
ゴールドグライダーツアーのジャケット
GOLD GLIDER 
17曲目に収録。

※ライブ映像ではなく別撮りした映像


WILLPOLIS
本編13曲目に収録。
結成20周年記念ライブ20のジャケット
「20」
本編15曲目に収録。

PF studio coast
本編13曲目に収録。

※PATHFINDER TOUR FINAL限定販売

バンドを牽引してきたガラスのブルース

出典:ビデオポキールより

「ガラスのブルース」は誕生してからずっと、バンドの重要な曲としてライブで演奏されてきました。この曲はいろんな局面を切り開き、メンバーも何度も助けられてると話しています。

英語の曲の時は明らかに違う、手ごたえがある反応を感じ取った彼らは、伝わる喜び、音楽の楽しさ、ライブでの一体感など、いろんなことをこの「ガラスのブルース」という楽曲に教えられながら音楽の道を歩んできました。

“ガラスのブルース”には、何度助けてもらっただろうかと思います。ライヴのアンコールでやって、ひとつになれる。終わってから見えるものがある

直井由文
出典:ROCKIN`ON JAPAN 2013.08

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